2017年8月19日 燻し燻されて生きるのさ

燻製にハマっている。機材は前回書いた。

手に入れてから3回やった。今も庭で食材たちが燻されるのを待ちながらブログを書いている。これで4回目だ。

 

自分でベーコンを作れたらいいなと思ったりしているが、肉の塊からベーコンに変換するにはなかなかの手間が必要らしい。

本当の燻製とは、燻したあとに風に当て(風燻というらしい。この手間は下準備にも適用される。やらなかったが)る作業を経て、保存食として活躍するのだそうだ。過去の燻製チャレンジでは、全て出来たてをすぐに完食した。なので以下の各食材の感想は燻製としては未熟かもしれないので、そのつもりで読んでもらいたい。

 

・味玉:これが一番美味しかった。もともと市販の燻玉も大好きなのだが、その比ではない。別の料理だ。ちなみに他人の燻製ブログでは、市販の安い燻製商品は実際に燻製にせず、燻製の風味がつく液体に浸して作ることが多い「なんちゃって燻製商品」も多いという記述があった。下味としては、にんべんのめんつゆを薄めた液に一晩浸けた。

・チーズかまぼこ:ほとんど変化なし。温かいチーズかまぼこ。香りも移っているが、あくまでチーズかまぼこだった。

・カルパス:さらに干からびたような硬いカルパスができた。カルパスはそもそも燻製して作るらしい。追い燻はあまり効果がないようだ。

プリッツロースト:香ばしさが増した。普段あまり食べないので久々に食べたのがおいしかったのかもしれない。

じゃがりこ(チーズ・サラダ・枝豆塩バター):まったく別物になった。もう燻製していないじゃがりこは食べられないかもしれない。普段のじゃがりこのボキッとした食感から油が抜け(?)、軽くなり、食べ始めたらキリンがない。

シャウエッセン:火を通したいのでウッドの真上に配置。じっくり火が通ってジューシー。ちゃんと香りも移っておいしいが、冷めるとそこまででもない。出来たてを急いで食べるのがよさそう。

・ミックスナッツ:アルミホイルで簡易的な皿を形成し、そこに載せて燻した。燻製の香りはつくが、全体的な味としてはトースターでローストしても似たような感動があるかもしれない。

セブンイレブン6Pチーズ:溶ける場合を考慮してアルミ皿で。見た目の感動を越えるほどの味ではない。ただし他のチーズで試す価値はありそう。上のシャウエッセンと一緒に食べたりした。

セブンイレブン薄焼きせんべい:そのままの方が旨い。

・ツナ缶:ナッツ同様アルミ皿で(以下の缶詰も)。缶詰の中で最も美味しかった。油を切りすぎるとパサパサになると書いてあったのでティースプーンで3杯ほど油を切った。もう少し切っても良かったかもしれない。クラッカーに載せて食べたのが大正解だった。

・カニ缶:ツナ缶に敗北。猫がカニ缶の残り汁を美味しそうに飲んでいたのがよかった。

・サンマ缶:できることなら白米と一緒に食べたかった。つまみとしても活躍しそうだった。表面にしか香りがつかないので、途中でひっくり返す作業をしてもよかったかもしれない。

 

特に玉子は燻していると水分が出てきて、表面に水滴がたくさんつく。たぶんそれを回避するために、事前に風燻という作業が必要なのだろう。一度は冷蔵庫に入れていたものを常温に戻し、30分くらいキッチンペーパーの上で乾燥させてからチャレンジしたが、乾燥させる過程が味に影響するのかどうが、自分の味覚ではわからなかったので、もうやっていない。

自治体にもよるかもしれないが、BBQのように大袈裟な煙が出ないのと、逐一見張っておく必要がない(もちろん定期的に様子を見る必要はある)ので、人の少ない公園の隅っこでやってもよさそうと個人的には思うくらい、周囲にそこまで配慮がいらない気がする。

いい趣味なのでこれからも続けていきたい。

 

2017年8月11日 燻製の道具を揃えた

バスと電車で通勤しているので、駅までの定期券を持っている。普段は自転車生活だが、梅雨明けしてからずっと雨が止まないので、こういうときは定期券があると実質無料で移動できる。

しかしそんな定期券も万能ではない。

 

バスが来ない。

 

仙台には「どこバス仙台」という、まるでバスが迷子になっているような間抜けなネーミングだと思うのだけど、実際時刻表の存在意義が危ぶまれるレベルにバスが来ないので現実をよく捉えた名前のサービスがあり、乗る場所と行き先を入力するとそのバスが今どの辺にいるのか教えてくれる。「今◯つ前のバス停」というかんじだ。遅れていることがわかるだけで、待つ人はただ待ち続けるしかない。「いつかくる」ことだけを教えてくれる。人々は安心して待つことができるというサービスだ。

今日はヨガに行く予定でバスを待っていたのだが、いつも以上にバスが来なかった。結局、次のバスが来る時間の少し前にきた。電車がお盆ダイヤで本数も少なく、結局次の回のレッスンを受けるしかなくなった。家に戻ろうかとも思ったのだが、次はいつバスに乗れるのかわからないので、先に駅前まで移動することにした。

 

つまり、1時間くらい仙台駅前で時間を潰すことになったのだ。

 

ついに揃った。百均で揃うもので燻製が作れるという記事を読んで何ヶ月経っただろう。読んですぐに百均に行ったのだが、思うように商品がなく、そのままやる気もずるずると引き伸ばされ、薄まっていった。

バスが遅れなければ、予定通りヨガを2時間やっていたはずだ。

山の日の百均は、買ってくれ燻してくれと言わんばかりにアウトドアコーナーが入口側に設けられていた。焼き網なんて最後の一枚だった。

 

・ステンレスボール×2 ¥540

・焼き網30cm ¥108

・チャッカマン ¥108

・トリプルカルパス ¥108

・トリプルカルパス チーズ ¥108

・チーズかまぼこ ¥108

 

燻製用品は東急ハンズに売っている、とロフトの店員が教えてくれた。

・スモークウッド ヒッコリー ¥648

 

スナック菓子の燻製がおいしいと以前先輩に聞いたのでドラッグストアに行った。

じゃがりこサラダ ¥74

じゃがりこチーズ ¥74

プリッツ ロースト ¥108

 

 

 失業手当をもらいながら週2でアルバイトをしていた職場から、「お盆で実家に帰らなきゃいけなくて役所に提出するだけの書類を14日に出しに行ってくれたら2000円あげる」というオファーを受けたので、まさに実質無料ですべて揃えることができた。書類は明日近所に渡しに来てくれることになっている。

明日は雨の予報だが、物置の隣に自転車を停める屋根付きの場所があるので、雨天決行で燻製を作ろうと思っている。

上記の食材以外では、卵を茹でてめんつゆに浸してある。ちなみに殻を剥くのに失敗して、何個かはガサツな生徒の消しゴムみたいな見た目になってしまった。

 

 早く燻製が食べたい。

2017年8月4日意識を内側に向ける

ヨガを始めた。正確には7月8日から始めた。もうすぐ一ヶ月が経つ。

仕事帰りに寄れる時間までやっているので、けっこう熱心に通っている。

腕の片方を頭の上から、もう片方を下から、後ろに回して、背中の前で手をつなぐことができる。なかなかの快挙だと思う。もしかしたら元々できる人もいるのかもしれないが。

 

ところで、ヨガにはシャバ・アーサナというポーズがある。それは、仰向けに横たわり体の力を抜いて目を閉じるだけのめちゃくちゃお手軽なものだ。もしかしたら毎晩やっている人もいるかもしれない。

ヨガのレッスンでは、シャバ・アーサナを5分~10分くらい最後に行う。先生によってガイダンスはまちまちだが、特に気に入っているのは、「水平線に浮かんでいる自分を想像する」というものだ。

 

水平線に仰向けに浮かんでいる。耳に水がしっかり入って、外の音はほとんど聞こえない。吸う息が打ち寄せる波、吐く息は引いていく波。何平洋かも知らない海に浮かんで、波に運ばれたり戻されたりしていく自分をただただ想像する。名前のない海の上で、ひとりぼっちそれだけ。

 

ちなみに、先生によっては「体がマットに沈み込んでいく」と言う人もいるし、「体の末端から順に血流を感じて」という人もいる。自律訓練法みたいなかんじだ。

最後に先生が鉄の鐘?のようなものを3回鳴らしたらシャバ・アーサナは終わり。その鐘を最初に聞いたときは、あまりのシャバ・アーサナの気持ちよさに、ついに幻聴かと思った。

 

 

ヨガのレッスン前にも先生がガイダンスをしてくれる。

・これからの1時間は、自分のための1時間です

・昼間お仕事をしていた方は、外に向けていた意識を内側に向けてください

・立場や肩書はヨガが終わるまで脇に置いておきましょう

 

なかなか素敵だと思う。いつまで続けられるかわからないが、今つらい仕事を乗り切っていられているのはヨガの力が大きいと思う。酒の力もあるだろうが。

 

2017年7月20日早く仕事を辞めたい

職場に体育会系のノリが浸透しておりつらい。デスクワークにも体育会系が集まるということを知らなかった。俗に言う営業マンというは体育会系が多いと聞いている。非戦闘タイプの非戦闘員として、いくらか性に合いそうなデスクワークの仕事についたはずなのに、戦闘タイプの非戦闘員たちに囲まれて働いている。上司とか先輩には名字で呼び捨てで呼ばれる。まだその上司とか先輩の名前も覚えきれていない。卒業アルバムのような社内の人間の顔と名前のリストがあるのだけど、直接本人を見ても写真と同じ人なのかどうかわからない。1年前の写真と区別がつかないくらい顔つきが変わるというのは恐ろしいことだと思う。

「○○さん仕事たくさん抱えてるけど倒れないでね」

「倒れるときは終わらせてから倒れますので」

このような会話が聞かれる。

自分が置かれている状況を冷静に見る能力も失われてしまうのかもしれない。有給休暇を風邪で消費するだけ。顔つきが変わるというのはそういうことかもしれない。

なくても誰も困らない仕事をこなし、少しの無意味な金を生み出す。無意味な人間が生活するためには、無意味なお金が必要だから、仕方がないのかもしれない。無意味な会社がなくなったら困るのは、お客ではなくそこで働く無意味な社員なのだなと思う。

 

2017年7月8日どこかに行きたい

労働が始まった。旅行の続きはまた別の機会に書くことにした。旅行は終わっても人生は続いているのだから、順番なんて関係ない。ただし、記憶が薄れる前には書きとめて置きたいものだ。

ある好きなアニメのラストが「人生という冒険は続く」で終わるのだが、終了と同時にその後も人生が続いていくということを視聴者に訴えてくるという残酷なアニメだったんだな、と3ヶ月の短いフリーター生活を終えて思う。

 

労働をしながら、またこつこつと小銭を貯めて海外旅行に行きたいと思う。今回の職場も例に漏れず薄給なわけだけど、切り詰めて生活することには慣れているし、貯金はしないしする予定もないのでお金の心配はあまりない。心配なのは休みが取れるかだ。

先日職場の年下の先輩に、入社して2年で最大何連休を取得したことがあるのか聞いてみたら、まだ2日しか取ったことがない(それも風邪をひいた)、とのことだった。

やはり退職するしかないのだろうか。

 

どうしてこんなに旅行に行きたいのかな、とこの数日漠然と考えている。18歳のときに初めてパスポートを取って外国に行ってから、2013〜2016の3年間は一度も行ってないが、それ以外は毎年どこかに行っている。「いつかは行ってみたい」と言うだけの人もいるし、一度行ったきりで特に積極的にならない人もけっこういる。反対に、収入源が不明のままひたすら旅を続けている人もいる。

 

本谷有希子乱暴と待機』で、お兄ちゃんが玄関のドアを開け閉めするシーンがある。

「いいか奈々瀬。この世界はすべて自分があると思い込んでいるから存在しているだけで、実は目を離している隙になくていいところは省略されて消えているんじゃないかって気がしてしょうがないんだよ。だからつまり世界は今、こうやって見えている範囲しか実はできてなくて、たとえばこっちに一歩進めば一歩分だけ足されてる。で、そのぶん後ろの一歩は減らされてる。学校だって俺の視界から消えた瞬間なくなってると思う。なんか分かる、雰囲気で。先生もクラスのやつらも全部消えてる。……え? ああ、そうだ。なんか分かるんだ、雰囲気で。だからもしかしたら今こうやってお前と話してる俺の後ろにだって、ただ真っ白い空間があるだけかもしれなくて、だから俺はこうやって不意打ちで世界が手抜きしてないかどうか確かめてるんだよ。監査だよ、監査。査察、とも言うよ。」

ちなみにお兄ちゃんは映画では浅野忠信が演じている。これは極めていけば、職場を出た瞬間から日々おいしいビールが飲めそうだと思っている。監査は必要ない。消えてくれてかまわないが。

 

嫌いな詩人の詩に「朝のリレー」という作品がある。

カムチャツカの若者が キリンの夢を見ているとき

メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている

 から始まる詩だ。なぜ嫌いなのに諳んじているのかというと、小学5年の時の担任の先生が、これをクラスの朝の会で1年間暗唱させたからだ。いい先生だったけど、他にも五体不満足を課題図書にしたりと趣味はことごとく悪かった。いや、もしかしたら良すぎたのかもしれない。少なくとも、先生が紹介してくれたその2つは教科書の内容よりも自分の中に確かな爪痕を残しているわけだし。最近、麒麟の夏限定ビールのパッケージにもその詩人の詩がプリントされていて、この「朝のリレー」の裏社会バージョン「夜のリレー」があったらどうだろう、ということを考えた。紙幣で買われた警官がその足で女を買いに行くとき、みたいなかんじのやつだ。そうだったらどう思っただろう?(先生が紹介することはないと思うので知らないままだった線が濃厚だ。)

 

東浩紀の『弱いつながり』という本を読んだ。みんな旅行とか行った方がいいよ、ということがいろんな角度から言われる本なんだが、その角度が自分が考えるよりもずっと壮大で、在特会ヘイトスピーチしてる人も血だらけの人間を目の前にしたら国籍関係なく手を貸すでしょ、とかそんなかんじだ。ルソーが言うには、人間は群れるべきではないのに、人が困っていると「憐れみ」という感情を抱いてしまい、それがつい群れてしまう原因になっているらしい。だから人間の社会は「憐れみ」というわりと非合理な感情で成り立っているのだそうだ。そのような偶然の感情で成り立っているのに、群れ続けると強固で排他的な集団ができてしまうので、たまにはいろいろな偶然を手に入れに行こう、そもそも社会の基礎は曖昧なものなのだから、ということが言いたいんだと思った。

 

 以上が「どうしてこんなに旅行に行きたいのか」ということを考えていたときに思い出したり触れたりしたものだ。どれも当てはまる気がするし、見当違いな気もする。

世の中には一を聞いて十を知る人がいて、自分は一を聞いて一を知れたら上出来な方で、自分で見たものさえ信じないときもある。すでに2ヶ月前ベトナムにいたことは妄想かもしれないと思いはじめている。

確かなことは、月曜からまた、どこか遠くではなく仕事に行かなければならないこと、人生という冒険は続くということだけになってしまった。

 

2017年6月20-21日台北

今回はフリープランのツアーに参加した。理由は、友人が一緒なのでホテルを同室にするために払うお金を計算したら、ツアーの方が安かったからだ。予約の段階で、台北市内のホステルを検索してみたが、ドミトリーの一番厳しい場所でも一泊一人1000円だった。ビジネルホテル的な場所でツインの部屋は3000円程で、空港から市内までの交通費一人500円を考えると、ツアーの方が割安だったのだ。

しかし久々にやってみて、やはり失敗だったと思った。それはツアーに参加してしまったことが大きい気がする。遅刻して悪びれない他の乗客等に我慢ができない。

22時頃に空港からガイドさんがバスでホテルまで送ってくれる。他の日本人も一緒だ。両親と娘の3人組(念のため書いておくが、娘は成人しているくらいの年齢に見えた、十分大人だ)が遅れたせいでバスの出発が遅れたりした。バスの中でガイドさんが、夜市で生の果物は食べるな、という注意事項や、オプショナルツアーの宣伝をしていた。金で苦労や不便を回避するのがツアーのいいところだろう。でも、異国で苦労や不便をしたい人間としてはどうも物足りない気がした。まあ友人が一緒なので仕方がないとも思った。

友人と5000円ずつ出して空港で両替をした。これは去年韓国に行った際にその友人から教わってとてもオススメなのだが、同行者がいる場合、二人共通の財布を作る。例えばタクシー代や夕飯代など、細かい割り勘は不便なので、そういうときはその共通の財布から出すといい。土産や個人の買い物はそれぞれの財布から出す。足りなくなったら、同じ金額をその財布に足す。それだけで旅行がとても楽になる。ちなみに韓国旅行では友人が帰りにその共通財布を無くした。帰りであったし、中身の半分は全く大した金額ではなかった。

 

23時過ぎにホテルに着いた。フロントでこの近くに夜市はあるか聞くと、歩いて行ける距離に小さい夜市はあるが、この時間はほとんどしまっているので、タクシーで100元(約350円)ほどで士林夜市へ行けると言われた。とりあえず近所の雙城夜市を見に行ってみたが、言われた通りほとんどしまっていたのでタクシーで士林夜市へ向かった。

タクシーの運転手に「シーリンナイトマーケット」と言って地図を見せたら「スーリン」と言い直された。

士林夜市は巨大だが時間が遅かったため、あまり活気はなかった。小籠包と蛋餅(もちもちした薄いクレープのような生地に色々包んだもの)とタピオカミルクティーを飲んだ。

夜市で「檳榔」の看板を見つけて購入した。7個入りで50元(約170円)だった。おばさんに食べ方を聞くと、「ガムノヨウニタベル」と日本語が返ってきた。事前に調べてきたことと相違なかったので安心した。

 

台北市内にはセブンイレブンが異常に多い。ホテルの隣と道路を挟んだ向かいにセブンイレブンがあった。セブンで台湾ビールとクラシックと書かれた台湾ビール、そして台湾ビールのフレーバー(パイナップル、マンゴー、グレープ)、目につく飲んだことのないビールを全て籠に入れた。サッポロ、キリン、キリンの早摘など日本のビールもかなり揃っていた。ほろよいや氷結のようなチューハイ類もほぼ同じ値段で売っていた。

 

ホテルの部屋でテレビを見ながらビールを飲み、酔ってきたところで檳榔をやることにした。友人はやらないと言った。噛むと青くさい味が口いっぱいに広がり、はっきり言ってまずい。ただ木の実を噛んでいるだけだ。我慢できずに洗面所で唾を吐くと、緑色の液体と植物の繊維で汚れ、道端に落ちていた檳榔による赤褐色の唾の色とはぜんぜん違っていた。しかししばらく我慢して噛み続けると(唾は飲んではいけないらしい。なぜなら発ガン性があるから)、唾は赤褐色に変わった。しかし、気分は舌が痺れる以外とくに気持ち良さも何もなかった。

 

 

翌日のホテルの朝食バイキングは、炒飯がやたらおいしかった。おかわりして食べた。ベジタリアンソーセージというハムのようなものを何かと思って食べてみたら、魚肉ソーセージのようなかんじだった。黒酢ドレッシングのサラダがおいしかった。

MRT(地下鉄)に乗って「海辺のカフカ」という名前のカフェに行った。MRTのカードは、ガイドブックによると、デポジットで先に100元払うものがあり、帰りに駅に持って行くと返してくれるはずなのだが、駅に行ってみると、それはもう終了していて、かわりに100元でカードを買い、suicaのようにチャージすると料金が常に2割引で乗れるというものになっていた。また台北にくることがあるだろうと思いそれを購入した。

カフェ「海辺のカフカ」は、店内にティファニーで朝食をのヘップバーンのポスターや、クストリッツァ監督のマラドーナのポスターが貼ってあったり、村上春樹っぽさはまるでなかった。普通のおしゃれなカフェというかんじだった。

友人が食べたいというので、マンゴーかき氷を食べに行った。ガイドブックにも載っているアイスモンスターという名前の店で、CNNでも取り上げられました!的な広告が付いていた。並んで席についたが、一口食べて、自分がアイスクリームをそれほど好きではなかったことを思い出し、ほとんど残した。まずくはないが、店内に十分冷房が効いていて、一口食べただけで「はいなるほど」となってしまった。食べるなら屋台の蒸し暑い環境がいいだろう。そもそもマンゴー自体もさほど美味くない。冷え冷えのマンゴーを屋台で一囓りする方が乙だと思った。けれども、世の中には暑いより寒い方が好きな人間もいるかもしれないので、なんとも言えない。連れの友人は完食していた。

夜にMRTで淡水に行ってみたが、時間が遅くてほとんど閉まっていた。淡水は夕焼けが有名だが、ついたときにはとっくに暗かった。出発前にバーで飲んでいたときに、店員のおねえちゃんが「私は台湾に2ヶ月に一度出かけているのですが、寧夏市場がおすすめですよ」と教えてくれたことを思い出し、タクシーで行ってみた。たしかに地元の人が多くてわくわくする場所だった。レモンを丸2つ絞った贅沢なレモンジュースとおでんを食べた。

そういうかんじで1日目、2日目はあっという間に過ぎた。ホテルのテレビを見ながらビールを飲み、眠気がきたらそのまま寝た。

 

2017年5月30日仁川国際空港→ソウル市内→帰国

深夜の離陸だった。眠くて仕方なかった。電気の消えた機内をCAが「お食事はどうしますか?」と聞いて回っていた。頼んでいる人は数人しかいなかった。自分も断った。ただやたらに喉が渇いて、2回水をもらった。ほとんど眠りながら、こんなに喉が渇くのはビールのせいなのかマリワナのせいなのか機内のエアコンのせいなのか、と考えていた。

 

朝8時前に仁川空港に着いた。乗り継ぎで一時入国するのは初めてだった。入国と荷物の受け取りまではすんなり行った(ベトナム出国の際に「手荷物を韓国で受け取りたい」と伝えていた)が、スーツケースを預ける場所までが遠かった。15:35発のEチケットを見せると「14時までに取りに来てください」と言われた。スーツケースとリュックを預けて10000ウォン(約1000円)だった。これがデポジットならいいな、と思った(デポジットではなかった)。仁川空港内は、ときどき稲中死ね死ね団が乗っているような乗り物で利用者を運んでくれるサービスがある。そしてやはり死ね死ね団みたいなちょっと間の抜けた音楽が流れているので見かけると笑いそうになる。去年韓国を訪れたときのsuica的な交通カードでソウル駅を目指す。仁川国際空港とソウル駅は片道だいたい50分くらいかかる。仁川空港にはパンフレットがあり、英語、日本語、フランス語、中国語、あともう一言語くらいのバージョンがテイクフリーで置いてある。それはパンフレットと呼ぶにはあまりにしっかりしている。地下鉄案内図や地図だけでなく、所用時間ごとの観光コースなどが極めてわかりやすく載っている。ソウル市内のみならず、釜山や郊外についても書かれているので、ちょっとした旅行であれば、わざわざ高い金を出してガイドブックを買う必要はないと思う。もちろんディープな韓国を体験したいのであれば別だろうが、しかしディープな韓国情報が一般的なガイドブックに書いてあるものだろうか?

 

ソウルに出た目的が2つある。1つは朝ごはんを食べること、そしてマッコリを買うことだった。

明洞(ミョンドン)まで行けば買い物が出来ることはわかっていたが、韓国の地下鉄は巨大すぎることを前回学んでいたため、できれば使いたくない。駅中の案内図はとてもわかりやすいので、案内通りに行けば目的地には着けるのだが、地中深すぎて、油断していると気づけばB7くらいにいる場合がある。エスカレーターも長い。それは巨大な蟻の巣を連想させる。開発中に温泉とか出なかったんだろうか。なのでできれば仁川空港→ソウル駅→徒歩で明洞、くらいを考えていた。

とりあえずカフェに入って今後のルートを考えた。カフェに入る予定はなかったのだが、店員のお兄さんがかっこよかったせいで、気づいたらアイスコーヒーを注文していた。男性のツーブロックはさわやかで素敵だと思う。

ソウル駅と明洞駅は2駅しか離れていないので、お兄さんに歩いて明洞に行きたいことを言うと、できないことはないけどけっこう遠いから電車を使うのがいいと言われ、その通りにした。駅の中で警察に道を聞いたらとても親切に教えてくれた。たぶん英語の中でも敬語とされる部類の言葉遣いだった。仙台駅周辺で、無灯火でチャリに乗っていた警官や、夜中に高圧的な態度で無意味な職質をかましてきた警官を思い出して、この警察が当たり前の警察なのか、それとも自分がごく稀にいる良い方の警察を引き当てただけのか、と思った。

 

明洞に着いて、お粥の店が目についたので入ろうとメニューを見たら、一番人気のアワビやらの入ったすごいお粥が15000ウォン、普通のお粥でも8000ウォンだった。もともと50000ウォンあったのを空港で10000ウォン使い、suicaのような交通カードに10000ウォンを入金し、さらにコーヒーも飲んだことを考えてこれから買い物をすることに不安を覚えたため、両替所を探した。両替所のおじさんに1万円札を出して「5000円分両替してください」と言うと、日本語で「オツリナイ」と言うので仕方なく1万円を両替した。去年はそんなことなかったので、もっとしっかりしたところを見つければよかった。レートもたぶん悪かった。

ともあれ無事にお粥を食べることができた。韓国のごはんには常にキムチが2〜3種類とスープがついてくるので大抵食べきれない。嫌いなもの以外はできるだけ残さないことを心がけているのだけど、韓国では残すのがマナー(満腹の合図)だと聞いたことがある。贅沢な考え方だ。

時間もあるのでまた街歩きの真似事でもしようかと、明洞聖堂に向かった。ソウルは坂が多い。電車で来たのは正解だったと思った。地図アプリでは近く見えても、歩いてみると勾配がわりときつい。明洞聖堂の前で中国人の観光客に写真を撮ってくれるよう頼まれた。9人の家族だった。渡されたデジカメは半押ししないタイプのもので、5回撮り直した。9人全員から一人ずつ「カムサハムニダ~」と言われた。

キリスト教徒ではないし熱心な宗教もないのに、聖堂の中に入ると背筋が伸びる気持ちがした。

 

栗マッコリが美味いと聞き、買いに出てきたのだが、韓国語で何と聞けばいいのかわからない。化粧品屋のお姉さんにchestnutのマッコリ、マロンのマッコリ、とかいろいろ言ってみたのだが「?」という反応。お姉さんは日本語も少し話してくれるのだが、「栗」が通じない。わざわざiPhoneに日本語パッドを設定してくれ、何て言いたいのか聞いてくれた。とても親切だ。栗と入力すると「パンマッコリね!」栗=パン(ンというよりmの音かもしれない)らしい。どこで買えるのか聞くが、知っているけど買ったことがないらしい。スーパーに行ってみるといいと場所を教えてもらうが、売っていなかった。

 

 道端でマッサージのキャッチをしている女性に、化粧品屋のお姉さんにパンマッコリの写真を見せると、配っていたチラシの地図に二ヶ所丸をつけ、「大きなデパートの地下に行ってみるといい」と親切に教えてくれ、地図もくれた。

 

無事デパ地下でマッコリ3本を買って、ギリギリで空港行きの特急に乗った。中では無料でWi-Fiが使えた。

スーツケースにマッコリを詰め込むと、預け所の男性が、ギリギリだから搭乗口まであれに乗って行け、と稲中死ね死ね団のような乗り物に乗せられた。

飛行機の中では「君の名は。」を観た。

 

仙台駅行きのアクセス鉄道の中はスーツを着たサラリーマンがたくさん乗っていた。ここには自分の意思で帰ってきたはずだった。面接を受けたときは、口先だけでもこのおぞましい群れにまた取り込まれることを望んでいたはずだ。きっと別な選択肢もあるし、この街で暮らす必要もまあない。けれどそのように生きていくことを自分で望んだんだ、と言い聞かせるも、殺意や憎悪は次々にわいてきた。 

 

一週間ぶりに見る生まれ育った街は、驚くほど醜かった。