2017年12月17日 広島→仙台

路面電車とフェリーに乗り放題の一日乗車券を買った。乗車券はスクラッチになっており、該当する年月日を十円玉で削って使用する。「(削る日付を)間違うたらもう一枚買ってもらうけえ気ぃつけや」と車掌さんに言われた。ホテル最寄り駅から40分ちょっと路面電車に揺られる。並走する車を追い越しながら、気づけば電車の線路を走っていた。音も電車のようなガタンゴトンという音に変わっていた。スピードも速い。朝から最高の気分だった。いつか死んだときは、こんなかんじでお願いしたいと思った。

気づけば誰もいない路面電車の駅のベンチに座っていて、しばらくしてやってきた路面電車に乗り込む。ちらほらと人が乗っているが顔は見えない。仲の良かった人や昔の思い出にひたりながら、どこへ向かうかわからない路面電車に揺られている。各駅停車でときどき人が乗ってくる。終点に着くとフェリーが待っており、誘導されるままに他の乗客と一緒に列に並ぶ。会話ない。最初どんな停留所から乗ってきたのか、ここはどこなのか考えても一つもわからない。路面電車の車内で浸っていた思い出も、もう思い出せない。フェリーが向こう岸に着く頃には、自分が誰であったかも忘れている。やがてくる来世に、思い出は必要ない。

そういうかんじがいいなと思った。同行者は皆眠っていた。終点で降りると、すぐにフェリー乗り場が待っている。郵便局のトラックも一緒に積まれている。最初はみんなデッキにいたが、同行のおじさんが「寒かけん中入っとるよ」と言い残して皆デッキから去った。船が水面を進むときに作る泡の様子を見て過ごした。

15分もしないうちに宮島に着くと、鹿が山ほどいた。奈良の鹿のようにガツガツせず、かといってそっけなくもなく「どちらから?」と言うように鼻を近づけてきたりする。なんとお触りもOKだ。こういう毛質の犬もいるなという手触りだった。厳島神社に参拝し、海の中に設けられた鳥居を眺めたりした。よく写真で見るような、海のど真ん中に建てられた鳥居!というかんじではなく、意外と陸から近い。干満の関係上遊覧船は次が最終便ですと船着場で16歳くらいの女の子が大きな声でアナウンスしていた。昼食に牡蠣フライカレーを注文すると「辛いですよ?」と言われたが、出てきたカレーはボンカレーの中辛レベルの辛さだった。牡蠣フライはおいしかった。

帰りの船もデッキには自分しかいなかった。遊覧船ではなく、交通機関としての余裕がそこにはあった。移動は遊びではない。船窓からの景色には、誰も興味がないのかもしれなかった。

小学生の頃、「つるにのって」という本が大好きだった。小学生のともこが夏休みに一人で広島を訪れる。そこで禎子という同い年くらいの女の子に出会う。ともこと禎子は意気投合するが、だんだん禎子の様子がおかしくなっていく。禎子は太平洋戦争で被爆し、白血病を患いいつか退院できることを願いながら折り紙で鶴を折り続けたが、結局退院することができないまま亡くなった女の子だった。その後、禎子の同級生の有志で大きな折り鶴を掲げた女の子の像が平和記念公園に建設された。それを知ったともこは女の子の像に向かって手を振り、広島の街をあとにする。みたいな話だ。そういうわけで、原爆の子の像の前に立つと、つるにのってを読んだ頃の気持ちが蘇るようだった。ちなみに原爆資料館には、禎子さん(実在した)が薬の包み紙やらで折った小さな折り鶴がガラスケースに展示されている。

 

帰りの広島空港で盛大に鼻血を出した。こんなに鼻血を出したのは、引っ越しのトラックから落ちてコンクリートに後頭部を強打したとき以来だった。旅行とはいえ、初めて出席した結婚式、ナイフとフォークしか使わせてもらえない膨大なコース料理、知らない人との社交、巨大なストレスからくる流血であることは確かだった。