2017年5月24日仁川空港→タンソンニャット空港→ホーチミン市内

隣は韓国人の夫婦だった。二人とも60歳は越えていそうだった。落雁味のハイチュウのような渋いお菓子を2つくれた。機内食で、夫婦ともに小さい歯磨き粉のようなチューブのコチュジャンを、すべてのおかずにつけて食べていた。自分の食事にはついてなかったので、CAに言えばもらえるものだろう。
映画を観た。一本目はメッセージ。惑星ソラリスを思い出した。正解するカドより先に見ていれば、正解するカドは見なかったかもしれない。
寝れなかったので、次にヒドゥン・フィギュアズという映画を観た。NASAのロケット打ち上げにかかる細かな計算の大半を担いながらも、女性+黒人であるがゆえにその活躍にスポットが当たらなかった人たちの話だった。数学的才能に恵まれ、なんとかという有名大学の修士を出た初の黒人女性である彼女たちのつらさは、エリートすぎて感情移入できる余地は皆無であるが、単純に中年女性の友情ものとしても面白かった。
隣の奥さんが、何やらこちらに韓国語で伝えようとしてくるが、まったくわからない。最終的にこちらの眉間を思い切り押してくる。CAが近づいてきて通訳してくれた。「そんなに画面ばかり見ていると目を悪くする」と言ってくれていたらしい。眉間は目の疲れをとるツボだそうだ。かなり優しい。
大げさな動作で眉間を押しながら、着陸までララランドの冒頭2曲を2回ずつ見た。

22:40着の予定が、22:10には着いた。これならわざわざ韓国で両替する必要もなかったかもしれない。イミグレーションカードも必要なかった。ビザも必要ないが、入国審査で帰りのEチケットの提示を求められた。駅前のカフェで水を買い、紙幣を両替した。タクシーの客引きを無視して109番のバスを探すとすぐに見つかった。チケット売り場には6〜7人の男性たちがたむろしており、「どこから来たの?」「日本のどこ?」と質問責めに合う。「仙台」と答えると「ああ、センダイね…」と言うが知ってるわけないと思う。地図につけたホステルの位置を見せると、何番のバス停で降りればいいか親切に教えてくれた。客は自分の他にもう一人女性がいただけだった。バスの中にもwifiがあって、地図を開いてホステルを見つけるまで時間はかからなかった。
ホステルは繁華街の脇道にあり、四つ打ちのリズムが4階まで聞こえた。

2017年5月24日仙台空港→仁川空港

旅行の直前(家を出る30〜1時間前)に突然行きたくなくなる症状に名前はあるんだろうか。
本屋でトイレに行きたくなるよりも深刻な病だと思う。
今朝もそうだった。準備をしながら、キャンセル料が2万円かかるというところまで調べた。
けれども家を一歩出れば、気持ちはもう旅先に向かう。今はとても楽しみだ。

飛行機は隣が空席でラッキーだった。とにかく寝たかったのだが、3月で退職して電車の長距離通勤から解放されてから、ちょっとした移動に便利なサイズの小さい睡眠を摂る術を、体は忘れてしまっていた。それはいいことでもある。労働の記憶はいらない。


テレビが何席かおきにぶら下がっている飛行機で、延々と海外の面白動画(ホームビデオみたいなやつ)が流れていた。クソつまらんな、とため息を吐こうとしたところでちょっと面白いのを見てしまい、油断から「ンフッ」と漏らしてしまった。それからはできるだけ画面を見ないように努めた。
気流が乱れると、テレビは面白動画を中断して、高度や外気温度を知らせた。外気はマイナス40度らしかった。
機内食を食べたらうとうとしてきて、まどろみながら太陽に近づくほど寒くなることを不思議に思った。
機体が揺れて目を覚まし、窓を開けると飛行機雲が見えた。飛行機から飛行機雲が見えるものなのかと感心したが、よく見たら飛行機雲ではなくて、海の上を進む船だった。
2時間はあっという間だった。
乗り継ぎまで、あと3時間ある。

最高の夏について

数年前、「最高の夏」を連呼していた時期がある。オンラインでもオフラインでも毎日発していた。


「夏」のつく名前に生まれたかったと思ったし、死因の第一希望は熱中症だった。


どんな問いの答えも最高の夏に思えた。


最高の夏を求めて海に行った。深夜にキャッチボールをした。公園でスケートボードの練習をしたが、飽きてすぐにビールを飲んだ。ビアガーデンの噴水に落ちてずぶ濡れになり、そのまま激安の殿堂でTシャツを買って着替えた。川で花火をした。火薬が少ないのか、花火はすぐに消えた。


楽しい思い出はそれなりにできたが、それが最高の夏だったのかどうかはわからない。欲を言えば、もっと最高の夏があると信じたい気持ちもある。見たことないものを欲しているとき、突然目の前に現れても、それが欲していたものかどうかというのはわかるものなのか?


プランターの枝豆は現在8cm。

ブログは書いた方がいい

フェイスブックに毎日日記を投稿している同級生がいる。

大学の博士課程に属している彼の日記は、写真もなく、その日食べたもの、気分、天気から始まり、大学での研究や趣味の読書について、ひたすら書いている。小学校の頃の同級生で、そもそもあまりよく知らない人なので、はっきり言って面白くもなんともない。

けれども、高そうな食事や着飾った人々、生まれたての赤ん坊などの写真が延々と流れるフェイスブックで、彼の日記は異彩を放っており、ログインする度つい目を通してしまう。

彼によると、元々はmixiで始めたもので、日によって長短はあれど、それは日課としてもう10年続けているんだそう。以前アメリカの大学院に留学していた時も、やはり続けていたらしい。

10年欠かさずに毎日続けると、3650日くらいになる。うるう年も二度通り過ぎたはずだ。3650回の個人の日記が、このインターネットの海の一角に積まれていると思うと、途方もない気持ちになる。

10年毎日続けられたら、もうそれは日記のプロだ。

これから定期的に日記を更新する気持ちがある。それはプロを目指すほどの覚悟ではないけれど、続けた先に少しでも途方のなさがあったらいい。