最高の夏について

数年前、「最高の夏」を連呼していた時期がある。オンラインでもオフラインでも毎日発していた。


「夏」のつく名前に生まれたかったと思ったし、死因の第一希望は熱中症だった。


どんな問いの答えも最高の夏に思えた。


最高の夏を求めて海に行った。深夜にキャッチボールをした。公園でスケートボードの練習をしたが、飽きてすぐにビールを飲んだ。ビアガーデンの噴水に落ちてずぶ濡れになり、そのまま激安の殿堂でTシャツを買って着替えた。川で花火をした。火薬が少ないのか、花火はすぐに消えた。


楽しい思い出はそれなりにできたが、それが最高の夏だったのかどうかはわからない。欲を言えば、もっと最高の夏があると信じたい気持ちもある。見たことないものを欲しているとき、突然目の前に現れても、それが欲していたものかどうかというのはわかるものなのか?


プランターの枝豆は現在8cm。

ブログは書いた方がいい

フェイスブックに毎日日記を投稿している同級生がいる。

大学の博士課程に属している彼の日記は、写真もなく、その日食べたもの、気分、天気から始まり、大学での研究や趣味の読書について、ひたすら書いている。小学校の頃の同級生で、そもそもあまりよく知らない人なので、はっきり言って面白くもなんともない。

けれども、高そうな食事や着飾った人々、生まれたての赤ん坊などの写真が延々と流れるフェイスブックで、彼の日記は異彩を放っており、ログインする度つい目を通してしまう。

彼によると、元々はmixiで始めたもので、日によって長短はあれど、それは日課としてもう10年続けているんだそう。以前アメリカの大学院に留学していた時も、やはり続けていたらしい。

10年欠かさずに毎日続けると、3650日くらいになる。うるう年も二度通り過ぎたはずだ。3650回の個人の日記が、このインターネットの海の一角に積まれていると思うと、途方もない気持ちになる。

10年毎日続けられたら、もうそれは日記のプロだ。

これから定期的に日記を更新する気持ちがある。それはプロを目指すほどの覚悟ではないけれど、続けた先に少しでも途方のなさがあったらいい。