2018年5月27日 東松島 大高森

「天気」には空の様子のほかに「晴れ」の意味もあるが、辞書の②の意味の下に今日の仙台の天気を添えたらいい。ついでに「もったいない」の項目に「天気がいい日に外に出ないのはもったいない。」という例文をつけて、その隣にも添えたいくらいのいい天気だった。
朝起きて、ヨガの前に近所の八百屋に行ったら10時開店とのことでまだ開いておらず、手ぶらで帰ってきた。それでも行って損したとは思わない。それくらい天気が良かった。


昼過ぎに東京の友人と、東松島の宮戸島という場所へドライブをした。いろいろな土地の地形について話していて、普段徒歩・自転車・電車でしか移動しない自分にとってはあまり想像したことのないものだった。スピードが視野を広げてくれるなら、たぶん飛行機を操縦できるようになればまた違ったことを考えるようになるかもしれない。徒歩移動で地形に想いを馳せられた伊能忠敬は、やはり只者ではない。
川を見つけて立ち寄ったら、なんと運河まであり、至れり尽くせりの歓迎を受けた。運河の先頭を見ようと柵をつたって行くと、歩いていたのは入ってはいけない柵の外側であったことに気づく。自分だけズルしたり楽をしたりするつもりも、ルールを破るつもりもないのに、いつのまにか柵の外側にいるように、道はどこで踏み外すかわからない。目の前には丸腰の広い川があった。


大高森の観光案内所に併設された食堂に入ると、ランチメニューの良さそうなものはだいたい完売しており、実質カキフライ定食とバターチキンカレーの二択で、せっかく海の街に来たのでカキフライ定食にした。観光案内所になぜか無料の足湯があり、アイスを食べながら足湯に入ったが、けっこうえげつない熱さだった。


大高森の山道は、一応階段にはなっているものの、革靴の2人にはオススメの足場だった。星1つです!石を切り出した壁に不気味な葉っぱが無数に生えていた。
頂上には宝くじの収益で建てられた展望台があり、宝くじを売る側の人間は、宝くじを買う側の人間に、お金を巻き上げるだけでなくこんな場所に展望台を建てさせる力までがあることを知る。なれるものなら、ギャンブルを運営するような賢い人間になりたいものだ。
頂上ではツバメが風に乗って遊んでいた。


帰りにふと思いついて知り合いの店に立ち寄ることにした。道案内が得意なので、右を指しながら「次を左へ曲がってくれ」などと言うことができる。右も左もわからなかった子どもが無事に右も左もわからない大人に成長した。
車を運転する友人は粉で溶く悪ガキビール、私はサッポロ黒ラベルを飲みながら、その知り合いと3人で歓談。夏に店を移転するので、その前に見てもらえてよかった。
フィルムカメラを一台貸してもらい、36枚撮りきったので、早く現像したい。

 

2018年2月26日 今月読んだ本

 

 

今月は一冊も読まなかった。

あと2日、読む目処も立たないのでもうブログに書いてしまう。

 

 

数年ぶりに恋をした。事情があって期間限定になると予想される(ちなみに相手に妻子がいるとか道ならぬ恋ではない、と念のため補足)。

 

好きな人に好きだと言うことはとても楽しい。体中にやさしい気持ちが巡るし、本当に真面目に、世界平和を願いたくなる。

大勢の人が集まる交差点とかで、この人が好きだと大きな声で叫んでみたい。

 会えて良かったとか生きてて良かったとか思う。

 

予定では、4月頃からまたぼちぼち本を読んだり映画を観たりし始める。

2018年1月31日 今月読んだ本

今年から、読んだ本をまとめていくことにした。読書メーターにはログインができないし、自分の記憶力はまったくアテにならない。記憶力と言えば、例えば12月に読んだのか2月に読んだのかわからなくなってしまったりする。「2」しか覚えられないからだ。そのため、10月〜1月までの出来事などを一括りに記憶してしまう恐れがある。そんな人間にとって、パスワードの管理ほど苦手なものはない(もちろん、記憶力以外にもさらに深刻な脆弱性が多々あるので、パスワードの管理以外にもっと苦手なこともあるが、今は記憶力が弱いという話なので逸れないようにしておきたい)。いつまで続くかわからないがとりあえずやる宣言をしておく。

 

 

1月1日 村上春樹羊をめぐる冒険(上)』

本当は年末に読み終えることができたが上巻を最後の読書にしたくなかったので数ページとっておいて、わざと年始に読み終えた。バツイチの主人公が、完璧な耳をもつ女の子と特別な羊を探しに北海道へ行くところで終わった。鼠からの手紙がアツい。下巻を手に入れてないので早く続きが読みたい。ところで、今の講談社文庫は文字が大きすぎるため、とても読みづらい。もう少し文字が小さかった頃のものを古本で探して読んでいる。

 

 1月2日 リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』

去年のある日、飯を求めて大戸屋に入ったら白いTシャツを着た色白の若い男子がこの本を読んでおり、こんなに素敵な青年が読んでいるのだからさぞかし素敵な本だろうと思って即購入した。Tシャツから伸びる白くて細い腕がとにかく良かった。全てが西瓜糖でできたアイデスと、アイデスの外であるらしい<忘れられた世界>の物語。アイデスはある種の理想郷であるが、アイデスに満足できない人もいる。アイデスと忘れられた世界は自由に行き来できるらしく、忘れられた生活を好む粗暴な人間がでてくる。自分が現在、やりたくもない労働によるストレスをためながら辛く貧しい暮らしをしているここは間違いなく<忘れられた世界>だ。正月休みに読むには、社会へ戻る意欲が失われる危険な本だった。早くアイデスへ帰りたい。ちなみに大戸屋の青年はそれ以降一度も見かけない。

 

1月3日 リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』

人々が持ち寄った自作の本を所蔵する図書館で働く主人公の元に、美しい女性が本を持ってきて、2人は恋に落ちる。その末にできた子どもを中絶するために2人で図書館を出るという話。一年中Tシャツしか着ず、洞窟で働く男が、村上春樹の鼠っぽくて良かった。

 

 

リチャード・ブローティガン『ビッグ・サーの南軍将軍』

なんとなく歴史ものだと思って敬遠していたが、「ビッグ・サー」というのは地域の名前。内容は西瓜糖みたいなかんじ。

 

 

1月12日植本一子『家族最後の日』

『働けECD』『かなわない』に続き植本氏の本を読むのは3冊目。この人のすごいところは、生活の負け越しを見逃さないところだと思う。負け越した分は取り返すことなくそのまま日々に忙殺されていくだけ。実母との決別、義弟の死、ECDの余命宣告を綴ったもの。ECDが今月の24日に亡くなったのは随分早かったみたいだ。義弟の持ち物を片付けるところはめっちゃ泣いた。

 

 

1月14日 LiLiCo『ザリガニとひまわり』 

タレントの自伝を読むのが好き。スウェーデンから単身、祖母を頼りに日本に渡ってからデビューするまでのホームレス生活。言葉もカタコトで、見た目も派手なLiLiCoが体当たりで社会の仕組みを学んでいく話。ショーパブで働くの楽しそうだった。

 

 

1月20日 レイ・ブラッドベリ『刺青の男』

全身刺青だらけの男の刺青が、月夜に動いて物語を紡ぎ始める短編集。ほとんどがテクノロジーを皮肉ったSFなので、ブローティガンまみれだったこともあり、ナチュラル志向に拍車をかけた。

 

おまけ タナカカツキ『サ道』

漫画と本どっちも読んだ。サウナの心得。サウナに入りすぎて耳が遠くなったり、鬱病診断手前までいったり、危険性(中毒性?)も説明されている。正直まだ「ととのう」がどんなものなのか感覚としてはわからないが、サウナは楽しい。

 

以上。2月は休みもないし、あんまり読めないだろうな。

 

2018年1月23日 サウナに行き始めた話

サウナに行きたくて銭湯に行っている。サウナというのは、2000年前にフィンランド人が室内で太陽を楽しむために作ったものらしい。寒さは人を賢くするのかもしれない。

清潔面において、潔癖症には到底遠いはずが、なぜか温泉や銭湯は昔から苦手だった。でもサウナの良さを聞いてから、行ってみる気になった。銭湯なんて性病や水虫の温床だろと思っていたが、今はサウナで性病や水虫がうつっても、それも運命だろうと受け入れる心持ちだ。この経験は、30年間嫌いだったものを、これから好きになる可能性があることを示唆するには十分だ。知らないことばかりだ。

今日も銭湯に行ってきた。今週は労働楽勝だろと思っていたらぜんぜん楽勝じゃないことに昨日気づいたのと、大寒波がきているため、これは室内で太陽を楽しむしかないと思ったからだ。

前回行ったときはサウナの温度計が80度前後だったのが、今日は100度の位置に針があった。

サウナから出てお湯に浸かっていたら、同じくお湯の中にいた70代手前くらいのおばあさんから「サウナに何回入ったの?」と声をかけられた。「3回です」と答えると、「あたしはここ(の銭湯)に20年以上通っているけれど一度もサウナに入ったことはない」となぜか誇らしげに語り始め、最終的に自分はバツ2なんだとか言い始めた。こちらのことも教えた方がいいかなと思ったので、近くに勤めていること、痩せたいと長らく思っているがなかなか叶わないこと、ヨガに通っていることを話した。おばあさんはその3つの中で当然ヨガの話に興味をもち、どんなアーサナ(ポーズ)がいいのか聞きたがり、こちらの言うままに銭湯の床に全裸で開脚し始めるなどの行動に至った。おばあさんの全裸開脚って、世界見たくないものランキングがあったらどの辺の位置かなと思った。ここのサウナは、男湯側と熱源をシェアしている(たしかに前回すごく近くで男性の声が聞こえたのはそういう理由らしい)ため、片方にだけ人がいればそこの温度は上がり、両方に人がいれば温度は下がるらしい。囚人のジレンマみたいな状態だ。サウナに入ったことないという彼女は、サウナの仕組みにとても詳しかった。

おばあさんは、色の白い人は汗をかきにくいのでお前にはサウナも運動も意味がない、という主旨のことを言い捨てて浴室から出ていった。

最後に駄目押しでもう一度サウナに入ったら、めちゃくちゃ心臓がギュっとなって、暑いための汗ではなく、サウナの中なのに冷や汗が出てきて危険を感じたので飛び出した。

脱衣所では別なおばあさんから、北辰(寿司屋)のタイムセールのパック寿司が一番コスパいいという話をされた。その人曰く、漁師の男は赤身の魚を好むらしい。

 

ツイッターをやめたらツイートしたくて仕方がなくて発狂するかと思ったが、意外とそんなことはなかった。人生に、やめられないものは何もないのかもしれない。やってたら楽しいものばかりかもしれない。知らない喜びや楽しみが、まだまだたくさんあるのかもしれない。

2017年12月17日 広島→仙台

路面電車とフェリーに乗り放題の一日乗車券を買った。乗車券はスクラッチになっており、該当する年月日を十円玉で削って使用する。「(削る日付を)間違うたらもう一枚買ってもらうけえ気ぃつけや」と車掌さんに言われた。ホテル最寄り駅から40分ちょっと路面電車に揺られる。並走する車を追い越しながら、気づけば電車の線路を走っていた。音も電車のようなガタンゴトンという音に変わっていた。スピードも速い。朝から最高の気分だった。いつか死んだときは、こんなかんじでお願いしたいと思った。

気づけば誰もいない路面電車の駅のベンチに座っていて、しばらくしてやってきた路面電車に乗り込む。ちらほらと人が乗っているが顔は見えない。仲の良かった人や昔の思い出にひたりながら、どこへ向かうかわからない路面電車に揺られている。各駅停車でときどき人が乗ってくる。終点に着くとフェリーが待っており、誘導されるままに他の乗客と一緒に列に並ぶ。会話ない。最初どんな停留所から乗ってきたのか、ここはどこなのか考えても一つもわからない。路面電車の車内で浸っていた思い出も、もう思い出せない。フェリーが向こう岸に着く頃には、自分が誰であったかも忘れている。やがてくる来世に、思い出は必要ない。

そういうかんじがいいなと思った。同行者は皆眠っていた。終点で降りると、すぐにフェリー乗り場が待っている。郵便局のトラックも一緒に積まれている。最初はみんなデッキにいたが、同行のおじさんが「寒かけん中入っとるよ」と言い残して皆デッキから去った。船が水面を進むときに作る泡の様子を見て過ごした。

15分もしないうちに宮島に着くと、鹿が山ほどいた。奈良の鹿のようにガツガツせず、かといってそっけなくもなく「どちらから?」と言うように鼻を近づけてきたりする。なんとお触りもOKだ。こういう毛質の犬もいるなという手触りだった。厳島神社に参拝し、海の中に設けられた鳥居を眺めたりした。よく写真で見るような、海のど真ん中に建てられた鳥居!というかんじではなく、意外と陸から近い。干満の関係上遊覧船は次が最終便ですと船着場で16歳くらいの女の子が大きな声でアナウンスしていた。昼食に牡蠣フライカレーを注文すると「辛いですよ?」と言われたが、出てきたカレーはボンカレーの中辛レベルの辛さだった。牡蠣フライはおいしかった。

帰りの船もデッキには自分しかいなかった。遊覧船ではなく、交通機関としての余裕がそこにはあった。移動は遊びではない。船窓からの景色には、誰も興味がないのかもしれなかった。

小学生の頃、「つるにのって」という本が大好きだった。小学生のともこが夏休みに一人で広島を訪れる。そこで禎子という同い年くらいの女の子に出会う。ともこと禎子は意気投合するが、だんだん禎子の様子がおかしくなっていく。禎子は太平洋戦争で被爆し、白血病を患いいつか退院できることを願いながら折り紙で鶴を折り続けたが、結局退院することができないまま亡くなった女の子だった。その後、禎子の同級生の有志で大きな折り鶴を掲げた女の子の像が平和記念公園に建設された。それを知ったともこは女の子の像に向かって手を振り、広島の街をあとにする。みたいな話だ。そういうわけで、原爆の子の像の前に立つと、つるにのってを読んだ頃の気持ちが蘇るようだった。ちなみに原爆資料館には、禎子さん(実在した)が薬の包み紙やらで折った小さな折り鶴がガラスケースに展示されている。

 

帰りの広島空港で盛大に鼻血を出した。こんなに鼻血を出したのは、引っ越しのトラックから落ちてコンクリートに後頭部を強打したとき以来だった。旅行とはいえ、初めて出席した結婚式、ナイフとフォークしか使わせてもらえない膨大なコース料理、知らない人との社交、巨大なストレスからくる流血であることは確かだった。

2017年12月16日 仙台→広島

5時に起きる予定だったが、5:40になっても布団から出られなかった。もう陸路で向かうことを考え始める。でもそんなお金はない。一緒に行く友人から、寝坊してしまったので何もかも厭になってしまった、という電話。予定の電車を変え、離陸25分前に空港に着くという挑発的なプランに変更した。
前日の職場の昼休みに、銀行で新札を手に入れるというミッションがあったのだが、やよい軒でおかわりをしているうちに昼休みが終わってしまい、ミッションは失敗に終わった。けれども友人がセブン銀行の口座を持っているので、コンビニのATMで新札を引き出してもらうことにした。
なんとか2人で仙台空港に到着。北海道は天気が荒れているというアナウンス。チケットカウンターにて、隣のおじさんが、「千歳に着陸できない場合、そのまま仙台空港に戻るのですがご了承いただけますか?」と言われていた。「万が一千歳から戻ってきた場合、仙台から那覇行きに乗ることはできますか?」とさらに聞いていた。一日で国の端から端まで移動しなければならない人もいるのだ。もしくは西村京太郎も真っ青の飛行機時刻表トリックか。
笹かまの禁断症状が出てきたので、キオスクで大漁旗を購入。市内で売っている紙の包み紙に入ったものではなく、真空パックになっていた。賞味期限を伸ばすためなら、おいしさを切り捨てるという製造者の覚悟が見える。空港の食べ物は、保存期間が長いほど強い。
ANAに乗ると座席に置いてある「翼の王国」という雑誌が大好きだ。これから旅に出る(帰る人もいるが)人にすら、旅欲を刺激する罪な雑誌だと思う。中の写真も文章もとても良い。

広島の人々というのは、あんまり人懐っこくないけれど、話しかけるとなかなかユーモラスに返してくれる。路面電車に乗車する際、なかなか強面の駅員さんに、切符はいつ買うのか尋ねると「降りるときに運賃を払うよ。俺たちはケチだからぴったり払わないとおつりはあげないんだ。おつりがほしかったら先に両替してね(車内にも両替機はあるよ)」と仁義なき戦いでしかろくに知らない広島弁で答えてくれた。男性も女性もナチュラルに「〜じゃけぇ」と言う。

その後は結婚式。こぢんまりしてなかなか素敵だった。ガラス張りだが木に囲まれていて、開放感とプライバシーが両立していた。「牧師です」と自己紹介をした牧師さんが、聖書を引用しながら愛について説くのを聞きながら、そんなに最強かな?などと思ったが、「愛」の部分を「シャブ」に変換するとすんなり飲み込むことができ、それはあまりに深く心に突き刺さった。信仰をもたない人間には、愛よりシャブが効くかもしれない?
披露宴にてビールを飲んでいたら、注ぎにくるのが面倒になったのか、私の前にだけ瓶ごと置かれてしまった。あと普段は絶対口にしないようなステーキも、赤ワインと一緒だと残さず食べられた。
その後二次会。見知らぬおじいさんたちがとにかくうれしそうだったのがよかった。親類が少ないので、たくさんの老人に囲まれる機会というのはほぼない。老人というのは、話を聞かず店員に暴言を吐き散らかす邪悪な存在だと思っていたが、ろくに生まれた広島を出ることもなく、真面目に生きて、孫のちょっと遅めな結婚を喜ぶような温かな老人もいるのだ。

2017年11月12日 サーカス小屋の中は重力が軽い

ヨガをやっていると、バランスをとるポーズで、稀にバッチリと重心を捉えることがある。こんな体勢疲れるでしょ、絶対片足じゃ無理でしょ、と思うようなポージングでも、重心が揃うと横たわるくらいに安定する。まわりの空気までピシッとしたり、音もあまり聞こえなくなったりすると、時間の静止を感じる。まあ少しでもずれると簡単によろけてしまうので、そこまでうまくできることは少ない。

 

今日はサーカスに行ってきた。

「住む街にサーカスがやってくる」それだけで華やかな気持ちになれる。観に行くのは4年ぶりだった。前回は、珍しいとされる白いトラが目玉のサーカスで、すごいはすごいのだけど、もしも客の入りが悪かったらは餌を減らされたりしないだろうか、本当はアフリカに家族がいるのに無理やりサーカスで働かされているのではないだろうか、と考えてしまい、なんだかかわいそうになってしまった。鞭を鳴らす人間とセットなのもちょっとこわかった。その点、今回のポップサーカスは、HPを見た限り動物は連れていなさそうでとても楽しみだった。

お客さんは3分の2くらいで、サイド側だがけっこう前の方だった。2匹のピエロが客いじりを始め、客の持っているポップコーンをつまみ食いしたり、客のハゲ頭を叩いたりしていた。

箱に詰めた美女を串刺しにするマジック、全身で大量のフラフープを回しまくる女性、回る巨大な車輪の上でジャグリング・なわとび。肉体の限界。天井から吊るされた輪っかに足だけで絡みつき、軽やかに重力を飛び越える。こんなふうに自由になれたらと思う。たぶんヨガで重心を捉えられたときのもっと上位のバランスを、自分自身に対する感覚だけでなく、ブランコから飛び移ってくる他者やモノの重心まで見抜くことをやっていて、それはもう、この星の秘密を知っていることになるんじゃないのかと思った。 

2時間のショーは10時間くらいに感じた。椅子に腰掛けてポップコーンを喰らっていただけなのにぐったりと疲れた。最後に演者が全員出てフィナーレ。

拍手のしすぎで手のひらがヒリヒリだ。