2017年11月12日 サーカス小屋の中は重力が軽い

ヨガをやっていると、バランスをとるポーズで、稀にバッチリと重心を捉えることがある。こんな体勢疲れるでしょ、絶対片足じゃ無理でしょ、と思うようなポージングでも、重心が揃うと横たわるくらいに安定する。まわりの空気までピシッとしたり、音もあまり聞こえなくなったりすると、時間の静止を感じる。まあ少しでもずれると簡単によろけてしまうので、そこまでうまくできることは少ない。

 

今日はサーカスに行ってきた。

「住む街にサーカスがやってくる」それだけで華やかな気持ちになれる。観に行くのは4年ぶりだった。前回は、珍しいとされる白いトラが目玉のサーカスで、すごいはすごいのだけど、もしも客の入りが悪かったらは餌を減らされたりしないだろうか、本当はアフリカに家族がいるのに無理やりサーカスで働かされているのではないだろうか、と考えてしまい、なんだかかわいそうになってしまった。鞭を鳴らす人間とセットなのもちょっとこわかった。その点、今回のポップサーカスは、HPを見た限り動物は連れていなさそうでとても楽しみだった。

お客さんは3分の2くらいで、サイド側だがけっこう前の方だった。2匹のピエロが客いじりを始め、客の持っているポップコーンをつまみ食いしたり、客のハゲ頭を叩いたりしていた。

箱に詰めた美女を串刺しにするマジック、全身で大量のフラフープを回しまくる女性、回る巨大な車輪の上でジャグリング・なわとび。肉体の限界。天井から吊るされた輪っかに足だけで絡みつき、軽やかに重力を飛び越える。こんなふうに自由になれたらと思う。たぶんヨガで重心を捉えられたときのもっと上位のバランスを、自分自身に対する感覚だけでなく、ブランコから飛び移ってくる他者やモノの重心まで見抜くことをやっていて、それはもう、この星の秘密を知っていることになるんじゃないのかと思った。 

2時間のショーは10時間くらいに感じた。椅子に腰掛けてポップコーンを喰らっていただけなのにぐったりと疲れた。最後に演者が全員出てフィナーレ。

拍手のしすぎで手のひらがヒリヒリだ。

2017年10月4日 仙台市民東京へ行く

入社して3ヶ月経ったのだが、有給休暇の権利が入社半年以降しか与えられないので、欠勤の申請をして休みをとった。申請前、休みが取れなかった場合に備え、知人に「親類を装って、親族に不幸があったと迫真の演技で会社に電話をかけてほしい」と会社の電話番号を教えていたりしたのだが、あっさり通った。

 

欠勤する人間を、誰も止めることはできない。

 

東京に住む友人とランチをする約束があった。燻製を教えてくれた人だ。指定された会社に向かうと、駅直結の外国の高級ホテルみたいだった。今からここから出てくる人と会話をする自分がぜんぜん想像できなかった。警備員がチラチラ見てくるので、とりあえず腰に巻いていたデニムジャケットをほどいた。ロビーのソファに座って待っていると、1メートル四方の立ち飲み屋くらいの高さのテーブル?に、スーツを来たおじさんたちが群がり始め、ひそひそ声で話していた。けっこう小さいテーブルなのに、6人くらい集まっていて、ギュウギュウに見えるので不気味だった。お互いの顔もけっこう近いんじゃないのかな。おじさんを引き寄せる匂いとかが出ているのかもしれない。そんなビジネスピーポーたちが去ると、警備員と受付嬢と自分だけになり、そのテーブルを確認してみたのだが、特に何も変わったところのないテーブルだった。おじさんにしか感知できないいい音やいい匂いを発しているのかもしれなかった。

友人と寿司を食べながら、燻製にしたらうまい食材の情報交換や、ぬか漬け、手作り味噌の話で盛り上がった。スモークサーモンの温度調整のために熱源と食材の距離をとる装置をダンボールで自作したそうだ。普段はお弁当を作っていると言っていて、私も作っているので、お弁当の作り置きおかず等かなり所帯じみた会合になった。会社に戻りながら、そういえばヨガを始めたよと言ったらかなり関心を示していた。

 

次に東京で無職をしている方をキャッチボールに誘った。けっこうキャッチボールには自信があるのだけど、私の方がだいぶ下手だった。極度に湾曲したベンチは人間が座るのはもちろん、コーヒーカップを置くのにさえ適さない。ホームレスをここで寝させないための工夫だ。「ケチだ」「さもしい」「知恵の無駄遣い」等と二人でベンチを罵りながら仙台駅で買ってきたワンカップと笹かまをかじった。家のテレビが壊れてしまったが無職なので何もできないと言っていた。無職は平日の昼間に業者の立ち会いをするという重要任務に就くことができるし、直す業者のおじさんに「がんばれ♡がんばれ♡」とエールを送ることもできますよ、と言った。終わってから気づいたが、その公園はキャッチボール禁止と書かれていた。神田で別れてお台場へ向かった。改札で女子高校生に思いっきり舌打ちをされたが、自分の何が悪かったのかわからなかった。

 

東京テレポート駅に、線路をつたって到着するのは不思議な気分だった。ベル・アンド・セバスチャンに会うのが東京に来た真の目的で、初めて生で見たフジテレビの丸い球体の中身について考える暇はない。キャッチボールで汗びしょびしょなので、物販でTシャツを買って着替えた。古いレコードのTシャツを着ている人も何人か見かけ、ファンが観に来ているのは想定内なのだけど、それでも、同じ目的で別々の人が一箇所に集うというのはとてもすごいことのような気がした。これがスポーツ観戦だったらこうは思わないだろう。世界一平和な空間だと思った。

古い曲から新曲まで、かなりバランスのとれたセットリストだった。外国の地で言葉も通じてるかどうかわからない人たちの前で演奏してお金をもらうというのは、めちゃくちゃにかっこいい。渋谷から東京テレポート駅までの素人が撮影した映像にちょっと泣きそうになったりした。Little Lou, Ugly Jack, Prophet Johnをまさか聞けるとは思っていなくて(ノラ・ジョーンズは来ていないように見えたので)、しかも映像がルー・リードジャック・ケルアック(たぶん)、ジョン・レノンで、この曲にそんな意味があったのかとただただ唖然としたり、「悲しい歌は明るく歌われなければならない。乗り越えるためなのだから。」というマードック哲学に最高になった。客席のリクエストを受け付けると言ったので

「Nobody's Empire!!!」

と世界一でかい声で叫んだつもりだったが、ステージまでは届かなかった。この世界は声のでかい人間が強い。声がでかくなければ、誰にも聞いてもらえない。声のでかくない人間は存在しないのと同じだ。けれども、今ギターを練習中のJudy And The Dream of Horsesで〆だったので、これはもうマードック先生に直接ギターを教わったと言っても差し支えないのではないか?早く弾けるようになりたい。

一緒にコンサートを観た人と食べたサラダがおいしかった。「このドレッシングはいろいろな解釈ができる」という言葉通り、すべての味がするようであり、なんの味もしないようでもあった。知らないお酒しか並んでいないバーに連れて行ってもらい、やはりそこでも腰に巻いたデニムジャケットをほどくことになった。スニーカーで入ってよかったんだろうか?

浅草に泊まって朝の新幹線で仙台に帰った。けっこう寝坊したのでダッシュで向かったら10分前くらいに着いた。はやぶさは久しぶりに乗ったが、大宮から仙台までノンストップだし、終点が盛岡なので気を抜くことはできなかった。仕事に行きたくなさすぎて、せっかく買った駅弁を半分も食べられなかった。駅から職場まで、つまらない景色のはずが、お台場で素人撮影映像とベルセバを並走した感動が蘇り、いつもの灰色の街に色がついて見えた。けれども、これからの楽しみは何もなかった。あとは悲しい歌を明るく歌っていくだけだ。

2017年9月3日 ブログを書こう

週に一回はブログを書こうと決めていたはずが、なかなかそうはいかない。

書くことがない。

書けるっちゃ書けるが、こんなこと書いてもなあ、みたいな気持ちになる。こんなこと書いてもなあ、みたいなことばかり結局は書いているし、書いたら書いたで、よっしゃ書いたぜ!となれるんだけど、それでもなあ、となってしまい、週に一度書くという目標すら達成できていない。

 

本当に書くことがないので最近読んで面白かった本のことを書く。

澁澤龍彦『幸福は永遠に女だけのものだ』というエッセイ集に入っている「自分の死を自分の手に」という話。「安楽死保険」を売りにこられたというエピソード。安楽死保険とはというと、毎月お金を積み立てて、自分が助かる見込みのない病気や自殺したくなったとき、できるだけ痛みの少ない手段で殺してくれるという保険だそうだ。

「それで、もしわたしが加入するとなれば、どういう利益があるのです?」とわたしはぼんやり訊いた。すると、

「まず本人の精神が、がらりと一変いたしますな」と男は胸を張って答えた。「それはもう、見違えるようになりますよ。なにしろ毎月、現金を積み立てて、自分の死を少しずつ買うのですからな。だんだん、死が目の前にはっきり見えるようになります。だんだん、自分の死の価値が高まって行くのが分ります。

 

「手前どもの安楽死保険は、かかる世の中に真の精神の価値を確立すべく、ひそかに名乗りをあげた革命的秘密結社です。それは一つの道徳運動でもありまして、"自分の死を自分の手に"というスローガンを掲げております。人間に残された最後の貴重な財産は、じつは生命ではなく死なのです。

というやり取りが行われる。星新一の「殺し屋ですのよ」みたいなオチがついているわけでもなく、ただ追い返して終わるのだが、年金よりはこっちのがいいなあなんて考えながら読んでいた。これって会社のスローガンには(おそらく)納得しつつ、癌の闘病中にも『高丘親王航海記』を書いてそのまま亡くなった澁澤龍彦のような人に入ってもらわないと儲からない保険だし、売り込む相手として澁澤龍彦というチョイスはきっと一流のセールスマンだな、という気持ちになった。

自分だったらすぐに殺してくれというか、死の価値の高まりににまにましながら生活を送るどころか月々の積み立て金の支払いにヒイヒイ言うだけになってしまう気がする。支払った分の年金を定年と同時に一括払い戻しか安楽死を買うか、そういう選択肢が、あと30年後にはできているといいなあ。

 

2017年8月24日 体の輪郭が空気に溶けていく

中村天風の生きる手本』(知的生きかた文庫)を読んでみた。中村天風氏の講演を宇野千代氏がまとめたものだ。

読みやすい。たしかに読みやすいのだが、「じゃあどうすればいいの?」という初歩的な質問がすぐに浮かんでくること、「人間というのは~」みたいな言い方に対し「主語でかくない!?」と思ったりして、なかなか内容を飲み込むことができなかったというのが正直なところ。

 

しかし、この本にこんなエピソードが登場する。

結核が治らない天風は死に場所として故郷を選び、エジプト経由で帰国をはかる。そこで出会ったインド人が、そんな天風氏を見かね「着いてこい」と言い、天風氏をヒマラヤの寺へ連れて帰る。しかし二ヶ月経ってもインド人から何も言われないので、しびれを切らした天風氏は「いつになったら治し方を教えてもらえるのか」と尋ねる。

するとインド人は「お前に教わる準備ができていないから待っているのだ。こちらの準備はできている」と言い、天風氏は「教わる準備ならできています」と応戦。

次にインド人は水いっぱいのコップを指し、氏に「ここに湯を注げ」と要求する。天風氏は「そんなことをしたら湯も水もコップから溢れるではありませんか」と拒否する。

お前の頭の中はな、私がどんないいことを言って見ても、そいつをみんな、こぼしちまう。さっきの、水いっぱい入っているコップと同じような、そういう状態だと見ているんだ。いつになったら、この水をあけて来るかな。水をあけて来さえすれば、そのあとで湯を注ぎ込んでやれば、湯がいっぱいになるんだがな、と思っているんだが、いっこう、水をあけて来ない。お前の頭の中には、いままでの役にも立たない屁理屈がいっぱい詰まっている以上、いくら俺が尊いことを言ってみても、それをお前は無条件に受け取れるか。受け取れないものを与える。そんな愚かなことは、俺はしないよ。

 

なるほどたぶんこの状態なのかもしれない。が、どうやって頭を空っぽにすればいいんだろうね?

 

ところで今日のヨガのシャバ・アーサナが大変気持ちよかった。先生が、「体の輪郭が空気に溶けて、曖昧になっていきます」と言っていたのもよかった。

 

授業中、眠さに負けず、頑張ってノートをとっている。綺麗に字を書いている。先生の話も聞いている。

 自分ではできているつもりでいる。

 しかし授業が終わってノートを見返すと、一文字もまともに書けていない。そもそも書いたはずの文字数より明らかに少ない。そして聞いていたはずの授業の内容をカケラも覚えていない。ただとても、頭がスッキリとしている。ノートをとっていたときの記憶はある。でもあれだけ懸命に眠気を吹き飛ばしながら聞いた授業の内容はまったく覚えていない。たしかに聞いていたのに。

 

そういう経験はないだろうか?

 このノートをとっているときの状況、今日それに近いことをシャバ・アーサナの時間にできたような気がした。

ヨガ、もうちょっとがんばってみたい。

 

2017年8月19日 燻し燻されて生きるのさ

燻製にハマっている。機材は前回書いた。

手に入れてから3回やった。今も庭で食材たちが燻されるのを待ちながらブログを書いている。これで4回目だ。

 

自分でベーコンを作れたらいいなと思ったりしているが、肉の塊からベーコンに変換するにはなかなかの手間が必要らしい。

本当の燻製とは、燻したあとに風に当て(風燻というらしい。この手間は下準備にも適用される。やらなかったが)る作業を経て、保存食として活躍するのだそうだ。過去の燻製チャレンジでは、全て出来たてをすぐに完食した。なので以下の各食材の感想は燻製としては未熟かもしれないので、そのつもりで読んでもらいたい。

 

・味玉:これが一番美味しかった。もともと市販の燻玉も大好きなのだが、その比ではない。別の料理だ。ちなみに他人の燻製ブログでは、市販の安い燻製商品は実際に燻製にせず、燻製の風味がつく液体に浸して作ることが多い「なんちゃって燻製商品」も多いという記述があった。下味としては、にんべんのめんつゆを薄めた液に一晩浸けた。

・チーズかまぼこ:ほとんど変化なし。温かいチーズかまぼこ。香りも移っているが、あくまでチーズかまぼこだった。

・カルパス:さらに干からびたような硬いカルパスができた。カルパスはそもそも燻製して作るらしい。追い燻はあまり効果がないようだ。

プリッツロースト:香ばしさが増した。普段あまり食べないので久々に食べたのがおいしかったのかもしれない。

じゃがりこ(チーズ・サラダ・枝豆塩バター):まったく別物になった。もう燻製していないじゃがりこは食べられないかもしれない。普段のじゃがりこのボキッとした食感から油が抜け(?)、軽くなり、食べ始めたらキリンがない。

シャウエッセン:火を通したいのでウッドの真上に配置。じっくり火が通ってジューシー。ちゃんと香りも移っておいしいが、冷めるとそこまででもない。出来たてを急いで食べるのがよさそう。

・ミックスナッツ:アルミホイルで簡易的な皿を形成し、そこに載せて燻した。燻製の香りはつくが、全体的な味としてはトースターでローストしても似たような感動があるかもしれない。

セブンイレブン6Pチーズ:溶ける場合を考慮してアルミ皿で。見た目の感動を越えるほどの味ではない。ただし他のチーズで試す価値はありそう。上のシャウエッセンと一緒に食べたりした。

セブンイレブン薄焼きせんべい:そのままの方が旨い。

・ツナ缶:ナッツ同様アルミ皿で(以下の缶詰も)。缶詰の中で最も美味しかった。油を切りすぎるとパサパサになると書いてあったのでティースプーンで3杯ほど油を切った。もう少し切っても良かったかもしれない。クラッカーに載せて食べたのが大正解だった。

・カニ缶:ツナ缶に敗北。猫がカニ缶の残り汁を美味しそうに飲んでいたのがよかった。

・サンマ缶:できることなら白米と一緒に食べたかった。つまみとしても活躍しそうだった。表面にしか香りがつかないので、途中でひっくり返す作業をしてもよかったかもしれない。

 

特に玉子は燻していると水分が出てきて、表面に水滴がたくさんつく。たぶんそれを回避するために、事前に風燻という作業が必要なのだろう。一度は冷蔵庫に入れていたものを常温に戻し、30分くらいキッチンペーパーの上で乾燥させてからチャレンジしたが、乾燥させる過程が味に影響するのかどうが、自分の味覚ではわからなかったので、もうやっていない。

自治体にもよるかもしれないが、BBQのように大袈裟な煙が出ないのと、逐一見張っておく必要がない(もちろん定期的に様子を見る必要はある)ので、人の少ない公園の隅っこでやってもよさそうと個人的には思うくらい、周囲にそこまで配慮がいらない気がする。

いい趣味なのでこれからも続けていきたい。

 

2017年8月11日 燻製の道具を揃えた

バスと電車で通勤しているので、駅までの定期券を持っている。普段は自転車生活だが、梅雨明けしてからずっと雨が止まないので、こういうときは定期券があると実質無料で移動できる。

しかしそんな定期券も万能ではない。

 

バスが来ない。

 

仙台には「どこバス仙台」という、まるでバスが迷子になっているような間抜けなネーミングだと思うのだけど、実際時刻表の存在意義が危ぶまれるレベルにバスが来ないので現実をよく捉えた名前のサービスがあり、乗る場所と行き先を入力するとそのバスが今どの辺にいるのか教えてくれる。「今◯つ前のバス停」というかんじだ。遅れていることがわかるだけで、待つ人はただ待ち続けるしかない。「いつかくる」ことだけを教えてくれる。人々は安心して待つことができるというサービスだ。

今日はヨガに行く予定でバスを待っていたのだが、いつも以上にバスが来なかった。結局、次のバスが来る時間の少し前にきた。電車がお盆ダイヤで本数も少なく、結局次の回のレッスンを受けるしかなくなった。家に戻ろうかとも思ったのだが、次はいつバスに乗れるのかわからないので、先に駅前まで移動することにした。

 

つまり、1時間くらい仙台駅前で時間を潰すことになったのだ。

 

ついに揃った。百均で揃うもので燻製が作れるという記事を読んで何ヶ月経っただろう。読んですぐに百均に行ったのだが、思うように商品がなく、そのままやる気もずるずると引き伸ばされ、薄まっていった。

バスが遅れなければ、予定通りヨガを2時間やっていたはずだ。

山の日の百均は、買ってくれ燻してくれと言わんばかりにアウトドアコーナーが入口側に設けられていた。焼き網なんて最後の一枚だった。

 

・ステンレスボール×2 ¥540

・焼き網30cm ¥108

・チャッカマン ¥108

・トリプルカルパス ¥108

・トリプルカルパス チーズ ¥108

・チーズかまぼこ ¥108

 

燻製用品は東急ハンズに売っている、とロフトの店員が教えてくれた。

・スモークウッド ヒッコリー ¥648

 

スナック菓子の燻製がおいしいと以前先輩に聞いたのでドラッグストアに行った。

じゃがりこサラダ ¥74

じゃがりこチーズ ¥74

プリッツ ロースト ¥108

 

 

 失業手当をもらいながら週2でアルバイトをしていた職場から、「お盆で実家に帰らなきゃいけなくて役所に提出するだけの書類を14日に出しに行ってくれたら2000円あげる」というオファーを受けたので、まさに実質無料ですべて揃えることができた。書類は明日近所に渡しに来てくれることになっている。

明日は雨の予報だが、物置の隣に自転車を停める屋根付きの場所があるので、雨天決行で燻製を作ろうと思っている。

上記の食材以外では、卵を茹でてめんつゆに浸してある。ちなみに殻を剥くのに失敗して、何個かはガサツな生徒の消しゴムみたいな見た目になってしまった。

 

 早く燻製が食べたい。

2017年8月4日意識を内側に向ける

ヨガを始めた。正確には7月8日から始めた。もうすぐ一ヶ月が経つ。

仕事帰りに寄れる時間までやっているので、けっこう熱心に通っている。

腕の片方を頭の上から、もう片方を下から、後ろに回して、背中の前で手をつなぐことができる。なかなかの快挙だと思う。もしかしたら元々できる人もいるのかもしれないが。

 

ところで、ヨガにはシャバ・アーサナというポーズがある。それは、仰向けに横たわり体の力を抜いて目を閉じるだけのめちゃくちゃお手軽なものだ。もしかしたら毎晩やっている人もいるかもしれない。

ヨガのレッスンでは、シャバ・アーサナを5分~10分くらい最後に行う。先生によってガイダンスはまちまちだが、特に気に入っているのは、「水平線に浮かんでいる自分を想像する」というものだ。

 

水平線に仰向けに浮かんでいる。耳に水がしっかり入って、外の音はほとんど聞こえない。吸う息が打ち寄せる波、吐く息は引いていく波。何平洋かも知らない海に浮かんで、波に運ばれたり戻されたりしていく自分をただただ想像する。名前のない海の上で、ひとりぼっちそれだけ。

 

ちなみに、先生によっては「体がマットに沈み込んでいく」と言う人もいるし、「体の末端から順に血流を感じて」という人もいる。自律訓練法みたいなかんじだ。

最後に先生が鉄の鐘?のようなものを3回鳴らしたらシャバ・アーサナは終わり。その鐘を最初に聞いたときは、あまりのシャバ・アーサナの気持ちよさに、ついに幻聴かと思った。

 

 

ヨガのレッスン前にも先生がガイダンスをしてくれる。

・これからの1時間は、自分のための1時間です

・昼間お仕事をしていた方は、外に向けていた意識を内側に向けてください

・立場や肩書はヨガが終わるまで脇に置いておきましょう

 

なかなか素敵だと思う。いつまで続けられるかわからないが、今つらい仕事を乗り切っていられているのはヨガの力が大きいと思う。酒の力もあるだろうが。