2017年6月20-21日台北

今回はフリープランのツアーに参加した。理由は、友人が一緒なのでホテルを同室にするために払うお金を計算したら、ツアーの方が安かったからだ。予約の段階で、台北市内のホステルを検索してみたが、ドミトリーの一番厳しい場所でも一泊一人1000円だった。ビジネルホテル的な場所でツインの部屋は3000円程で、空港から市内までの交通費一人500円を考えると、ツアーの方が割安だったのだ。

しかし久々にやってみて、やはり失敗だったと思った。それはツアーに参加してしまったことが大きい気がする。遅刻して悪びれない他の乗客等に我慢ができない。

22時頃に空港からガイドさんがバスでホテルまで送ってくれる。他の日本人も一緒だ。両親と娘の3人組(念のため書いておくが、娘は成人しているくらいの年齢に見えた、十分大人だ)が遅れたせいでバスの出発が遅れたりした。バスの中でガイドさんが、夜市で生の果物は食べるな、という注意事項や、オプショナルツアーの宣伝をしていた。金で苦労や不便を回避するのがツアーのいいところだろう。でも、異国で苦労や不便をしたい人間としてはどうも物足りない気がした。まあ友人が一緒なので仕方がないとも思った。

友人と5000円ずつ出して空港で両替をした。これは去年韓国に行った際にその友人から教わってとてもオススメなのだが、同行者がいる場合、二人共通の財布を作る。例えばタクシー代や夕飯代など、細かい割り勘は不便なので、そういうときはその共通の財布から出すといい。土産や個人の買い物はそれぞれの財布から出す。足りなくなったら、同じ金額をその財布に足す。それだけで旅行がとても楽になる。ちなみに韓国旅行では友人が帰りにその共通財布を無くした。帰りであったし、中身の半分は全く大した金額ではなかった。

 

23時過ぎにホテルに着いた。フロントでこの近くに夜市はあるか聞くと、歩いて行ける距離に小さい夜市はあるが、この時間はほとんどしまっているので、タクシーで100元(約350円)ほどで士林夜市へ行けると言われた。とりあえず近所の雙城夜市を見に行ってみたが、言われた通りほとんどしまっていたのでタクシーで士林夜市へ向かった。

タクシーの運転手に「シーリンナイトマーケット」と言って地図を見せたら「スーリン」と言い直された。

士林夜市は巨大だが時間が遅かったため、あまり活気はなかった。小籠包と蛋餅(もちもちした薄いクレープのような生地に色々包んだもの)とタピオカミルクティーを飲んだ。

夜市で「檳榔」の看板を見つけて購入した。7個入りで50元(約170円)だった。おばさんに食べ方を聞くと、「ガムノヨウニタベル」と日本語が返ってきた。事前に調べてきたことと相違なかったので安心した。

 

台北市内にはセブンイレブンが異常に多い。ホテルの隣と道路を挟んだ向かいにセブンイレブンがあった。セブンで台湾ビールとクラシックと書かれた台湾ビール、そして台湾ビールのフレーバー(パイナップル、マンゴー、グレープ)、目につく飲んだことのないビールを全て籠に入れた。サッポロ、キリン、キリンの早摘など日本のビールもかなり揃っていた。ほろよいや氷結のようなチューハイ類もほぼ同じ値段で売っていた。

 

ホテルの部屋でテレビを見ながらビールを飲み、酔ってきたところで檳榔をやることにした。友人はやらないと言った。噛むと青くさい味が口いっぱいに広がり、はっきり言ってまずい。ただ木の実を噛んでいるだけだ。我慢できずに洗面所で唾を吐くと、緑色の液体と植物の繊維で汚れ、道端に落ちていた檳榔による赤褐色の唾の色とはぜんぜん違っていた。しかししばらく我慢して噛み続けると(唾は飲んではいけないらしい。なぜなら発ガン性があるから)、唾は赤褐色に変わった。しかし、気分は舌が痺れる以外とくに気持ち良さも何もなかった。

 

 

翌日のホテルの朝食バイキングは、炒飯がやたらおいしかった。おかわりして食べた。ベジタリアンソーセージというハムのようなものを何かと思って食べてみたら、魚肉ソーセージのようなかんじだった。黒酢ドレッシングのサラダがおいしかった。

MRT(地下鉄)に乗って「海辺のカフカ」という名前のカフェに行った。MRTのカードは、ガイドブックによると、デポジットで先に100元払うものがあり、帰りに駅に持って行くと返してくれるはずなのだが、駅に行ってみると、それはもう終了していて、かわりに100元でカードを買い、suicaのようにチャージすると料金が常に2割引で乗れるというものになっていた。また台北にくることがあるだろうと思いそれを購入した。

カフェ「海辺のカフカ」は、店内にティファニーで朝食をのヘップバーンのポスターや、クストリッツァ監督のマラドーナのポスターが貼ってあったり、村上春樹っぽさはまるでなかった。普通のおしゃれなカフェというかんじだった。

友人が食べたいというので、マンゴーかき氷を食べに行った。ガイドブックにも載っているアイスモンスターという名前の店で、CNNでも取り上げられました!的な広告が付いていた。並んで席についたが、一口食べて、自分がアイスクリームをそれほど好きではなかったことを思い出し、ほとんど残した。まずくはないが、店内に十分冷房が効いていて、一口食べただけで「はいなるほど」となってしまった。食べるなら屋台の蒸し暑い環境がいいだろう。そもそもマンゴー自体もさほど美味くない。冷え冷えのマンゴーを屋台で一囓りする方が乙だと思った。けれども、世の中には暑いより寒い方が好きな人間もいるかもしれないので、なんとも言えない。連れの友人は完食していた。

夜にMRTで淡水に行ってみたが、時間が遅くてほとんど閉まっていた。淡水は夕焼けが有名だが、ついたときにはとっくに暗かった。出発前にバーで飲んでいたときに、店員のおねえちゃんが「私は台湾に2ヶ月に一度出かけているのですが、寧夏市場がおすすめですよ」と教えてくれたことを思い出し、タクシーで行ってみた。たしかに地元の人が多くてわくわくする場所だった。レモンを丸2つ絞った贅沢なレモンジュースとおでんを食べた。

そういうかんじで1日目、2日目はあっという間に過ぎた。ホテルのテレビを見ながらビールを飲み、眠気がきたらそのまま寝た。

 

2017年5月30日仁川国際空港→ソウル市内→帰国

深夜の離陸だった。眠くて仕方なかった。電気の消えた機内をCAが「お食事はどうしますか?」と聞いて回っていた。頼んでいる人は数人しかいなかった。自分も断った。ただやたらに喉が渇いて、2回水をもらった。ほとんど眠りながら、こんなに喉が渇くのはビールのせいなのかマリワナのせいなのか機内のエアコンのせいなのか、と考えていた。

 

朝8時前に仁川空港に着いた。乗り継ぎで一時入国するのは初めてだった。入国と荷物の受け取りまではすんなり行った(ベトナム出国の際に「手荷物を韓国で受け取りたい」と伝えていた)が、スーツケースを預ける場所までが遠かった。15:35発のEチケットを見せると「14時までに取りに来てください」と言われた。スーツケースとリュックを預けて10000ウォン(約1000円)だった。これがデポジットならいいな、と思った(デポジットではなかった)。仁川空港内は、ときどき稲中死ね死ね団が乗っているような乗り物で利用者を運んでくれるサービスがある。そしてやはり死ね死ね団みたいなちょっと間の抜けた音楽が流れているので見かけると笑いそうになる。去年韓国を訪れたときのsuica的な交通カードでソウル駅を目指す。仁川国際空港とソウル駅は片道だいたい50分くらいかかる。仁川空港にはパンフレットがあり、英語、日本語、フランス語、中国語、あともう一言語くらいのバージョンがテイクフリーで置いてある。それはパンフレットと呼ぶにはあまりにしっかりしている。地下鉄案内図や地図だけでなく、所用時間ごとの観光コースなどが極めてわかりやすく載っている。ソウル市内のみならず、釜山や郊外についても書かれているので、ちょっとした旅行であれば、わざわざ高い金を出してガイドブックを買う必要はないと思う。もちろんディープな韓国を体験したいのであれば別だろうが、しかしディープな韓国情報が一般的なガイドブックに書いてあるものだろうか?

 

ソウルに出た目的が2つある。1つは朝ごはんを食べること、そしてマッコリを買うことだった。

明洞(ミョンドン)まで行けば買い物が出来ることはわかっていたが、韓国の地下鉄は巨大すぎることを前回学んでいたため、できれば使いたくない。駅中の案内図はとてもわかりやすいので、案内通りに行けば目的地には着けるのだが、地中深すぎて、油断していると気づけばB7くらいにいる場合がある。エスカレーターも長い。それは巨大な蟻の巣を連想させる。開発中に温泉とか出なかったんだろうか。なのでできれば仁川空港→ソウル駅→徒歩で明洞、くらいを考えていた。

とりあえずカフェに入って今後のルートを考えた。カフェに入る予定はなかったのだが、店員のお兄さんがかっこよかったせいで、気づいたらアイスコーヒーを注文していた。男性のツーブロックはさわやかで素敵だと思う。

ソウル駅と明洞駅は2駅しか離れていないので、お兄さんに歩いて明洞に行きたいことを言うと、できないことはないけどけっこう遠いから電車を使うのがいいと言われ、その通りにした。駅の中で警察に道を聞いたらとても親切に教えてくれた。たぶん英語の中でも敬語とされる部類の言葉遣いだった。仙台駅周辺で、無灯火でチャリに乗っていた警官や、夜中に高圧的な態度で無意味な職質をかましてきた警官を思い出して、この警察が当たり前の警察なのか、それとも自分がごく稀にいる良い方の警察を引き当てただけのか、と思った。

 

明洞に着いて、お粥の店が目についたので入ろうとメニューを見たら、一番人気のアワビやらの入ったすごいお粥が15000ウォン、普通のお粥でも8000ウォンだった。もともと50000ウォンあったのを空港で10000ウォン使い、suicaのような交通カードに10000ウォンを入金し、さらにコーヒーも飲んだことを考えてこれから買い物をすることに不安を覚えたため、両替所を探した。両替所のおじさんに1万円札を出して「5000円分両替してください」と言うと、日本語で「オツリナイ」と言うので仕方なく1万円を両替した。去年はそんなことなかったので、もっとしっかりしたところを見つければよかった。レートもたぶん悪かった。

ともあれ無事にお粥を食べることができた。韓国のごはんには常にキムチが2〜3種類とスープがついてくるので大抵食べきれない。嫌いなもの以外はできるだけ残さないことを心がけているのだけど、韓国では残すのがマナー(満腹の合図)だと聞いたことがある。贅沢な考え方だ。

時間もあるのでまた街歩きの真似事でもしようかと、明洞聖堂に向かった。ソウルは坂が多い。電車で来たのは正解だったと思った。地図アプリでは近く見えても、歩いてみると勾配がわりときつい。明洞聖堂の前で中国人の観光客に写真を撮ってくれるよう頼まれた。9人の家族だった。渡されたデジカメは半押ししないタイプのもので、5回撮り直した。9人全員から一人ずつ「カムサハムニダ~」と言われた。

キリスト教徒ではないし熱心な宗教もないのに、聖堂の中に入ると背筋が伸びる気持ちがした。

 

栗マッコリが美味いと聞き、買いに出てきたのだが、韓国語で何と聞けばいいのかわからない。化粧品屋のお姉さんにchestnutのマッコリ、マロンのマッコリ、とかいろいろ言ってみたのだが「?」という反応。お姉さんは日本語も少し話してくれるのだが、「栗」が通じない。わざわざiPhoneに日本語パッドを設定してくれ、何て言いたいのか聞いてくれた。とても親切だ。栗と入力すると「パンマッコリね!」栗=パン(ンというよりmの音かもしれない)らしい。どこで買えるのか聞くが、知っているけど買ったことがないらしい。スーパーに行ってみるといいと場所を教えてもらうが、売っていなかった。

 

 道端でマッサージのキャッチをしている女性に、化粧品屋のお姉さんにパンマッコリの写真を見せると、配っていたチラシの地図に二ヶ所丸をつけ、「大きなデパートの地下に行ってみるといい」と親切に教えてくれ、地図もくれた。

 

無事デパ地下でマッコリ3本を買って、ギリギリで空港行きの特急に乗った。中では無料でWi-Fiが使えた。

スーツケースにマッコリを詰め込むと、預け所の男性が、ギリギリだから搭乗口まであれに乗って行け、と稲中死ね死ね団のような乗り物に乗せられた。

飛行機の中では「君の名は。」を観た。

 

仙台駅行きのアクセス鉄道の中はスーツを着たサラリーマンがたくさん乗っていた。ここには自分の意思で帰ってきたはずだった。面接を受けたときは、口先だけでもこのおぞましい群れにまた取り込まれることを望んでいたはずだ。きっと別な選択肢もあるし、この街で暮らす必要もまあない。けれどそのように生きていくことを自分で望んだんだ、と言い聞かせるも、殺意や憎悪は次々にわいてきた。 

 

一週間ぶりに見る生まれ育った街は、驚くほど醜かった。

 

2017年5月29日ホーチミン市内→タンソンニャット国際空港

朝起きて、すぐに郵便局に向かった。ツアーデスクの女性に声を掛けようとしたが、昨日とは別の女性だった。

 

おじいさんはすぐに見つかった。

 

昨日よりも人の少ない郵便局の机の一角で、おじいさんのまわりの空気が少しだけピンとしていた。近づく人は誰もいなかった。机の上はぶ厚い辞書と手紙の山で、声を掛けられるような雰囲気ではなかった。自分以外の誰かのための仕事だった。いったいこの人はどんな気持ちで手紙を読んできたんだろうか、と思ったらちょっと泣けてきた。

 

ベンタン市場で漆塗りの箱に入ったトランプに出会った。店員の女性は日本語で話しかけてきた。「オネーサン、ワタシ、マケルカラ」「オネーサン、カワイイ、ヤスクスル」「ワタシ、ライネン、ニホンイク」「ニホン、タカイカラ、オネガイ」かなり不安になる言葉遣いだが、市場を3周くらいして、やっぱり買うことにした。店員の女性はカードの一枚を取り出して、ライターで火をつけたが、傷一つ付かなかった。「手品じゃないよね?」と言ったら爆笑していた。

 

昼頃に大雨が降った。ガイドブックに載っている最新おしゃれスポットらしい雑居ビルは、隣のビルの屋根を打つ雨音が響きまくっていた。スウェーデン男子はちゃんと行けただろうかと思った。本屋で雨宿りをした。二階が紀伊国屋で、日本の本が普通に売っていた。値段も1.5倍くらいで、文庫本なのでむしろ一階で売っているベトナムの本よりも安いかもしれない。仮にこの街に住むとしたらかなりありがたい値段設定だと思った。ドンを持っていても仕方がないので、空港までのバス代20000ドンと晩ごはん・ビール代50000ドンを残して、スーパーマーケットでダメ押しのお土産を買いに行ったつもりが、ギリギリお金が足りなくて結局カードで払った。

 

ホステルに着くと、インドネシア女子とインド男子がラウンジにいた。トランプを見せると「いいね〜!」と褒めてくれた。インド男子は「でもこれ遊ぶには扱いづらくない?」と現実的なことを言った。受付の女の子は朝とは別の子だった。「いくらしたの?」で「1万円から値切って4500円で買った!」と言うと、インド男子は「あそこの市場は1/3まで値切れるものだ」と言ってきた。受付の女の子もインドネシア女子も、値段を言ったとたんに「まあ、欲しかったんならいいんじゃない?」と態度を変えた。「これはとても丈夫で燃えないんだよ!ライターある?見せてあげる!」と言ったのだが誰もライターを持っていなくて、インド男子に「それはすごい!仮にあんたの家が燃えてもこのトランプは残るんだね!よかったね!!」と言われた。

 

荷造りを済ませてからラウンジに降りると、今晩発つならビールを飲もうよ、と皆ラウンジに集まっていた。インドネシア女子が日本で桜を見てみたいと言っていたので3~4月頃に来るのが良いと教えた。インド男子は日本に行きたいのでビザを手配してくれと無理な頼みをしてきた。

スウェーデン男子が外から帰ってきたので「昼頃行くって聞いてたけど、雨にあたらなかった?」と聞いたら「そのつもりだったんだけど寝坊しちゃった。今夜のバスで発つよ」と言われた。男子は、これベトナムで一番おいしい料理だから、と言いながらキャベツとうずらの卵をカレー粉っぽいスパイスで炒めてレモンを搾ったような食べ物を無理やり食べさせてきた。昨日生春巻き食べたいって言ってたでしょ、と生春巻きもくれた。生春巻きは、店によって中身やソースが違うらしい。「生春巻きにはチリソースが一番合うと思うんだけど、数あるチリソースの中でもここのチリソースが一番おいしい」と言っていた。たしかにソースはおいしかったが、春巻き自体はビニールを食べているような変な食感だった。そのあとインドネシア女子と、ホステルの近くにある毎晩行列のできている屋台に並んでバインミーを買って食べた。初日に食べたバインミーと違い、ミョウガが入っていなくておいしかった。

スウェーデン男子から、「昨日調べたんだけど、君の住んでいる日本の北の方って林檎がたくさん採れるんでしょ?」と聞かれ、本州の北の方とは言ったが最北端と思われていたことに気づいた。インドネシア女子が東京までどのくらい?と聞いてきて「新幹線なら1時間ちょっとで、バスだと5時間」と言うと、「もしいつか日本に行くことがあれば連絡してもいい?」と言うのでもちろん!と言った。10ドルくらいで泊まれる場所はあるかと聞かれ、「10ドルはわからないけど20ドルなら絶対にある。あと2020年にオリンピックがあるから、さらに便利になるかも」と答えた。チェコ男子に郵便局のおじいさんを見せた。「このおじいさんのやっていることにはとても感心するけど、まだ手紙の翻訳を必要とする人たちがたくさんいるということも考えてしまうね」と言っていた。その通りだと思った。

インド男子とスロバキア女子がディナーに行くと言い、もしかしたらこれが最後になるかもしれないね、とハグしてくれた。

 

ビールを飲みながら、ラウンジのテレビで流れているチープなサスペンスドラマを見ていた。横たわった死体の頭から血がおでこから口元にかけて垂れているようなクオリティだった。隣のスウェーデン男子がDo you smoke?と聞いてきて、Noと言うと「いや吸うでしょ」とにやにやしながら言ってきた。「いや吸わないって」と返すと「またまた」「知ってるから」みたいなことを言ってくるのでちょっとイライラしてきて「いったい何の話?」と聞くと、iPhoneでweedと打って見せてきた。わざわざ日本語翻訳をしてくれていて、「大麻」と書かれていた。「海外では何度か見たことがあるけど、まだやったことない。日本国内では見たことすらない」と言うと「ヒップホップ好きなら絶対吸ってると思ったのに」「ヒップホップは聴き始めたばかりだって言ったじゃん」「日本は厳しいの?」「絶対手に入らないわけではないと思う。誰と付き合うかによると思うけど、私に直接の人脈はないな。友達に頼めばその人がさらに友達に頼んで~と何人か仲介すると思う」と言った。「スウェーデンも禁止されているけど50%くらいは持ってる」「そうなの!簡単に買えるの?」「うん。誰でも買える」「今持ってる?」「うん」「スウェーデンから持ってきたの?」「うん」「ベトナムは禁止されてないの?」「禁止のはずだけど」「スウェーデン出てきて何カ国目?」「タイとカンボジア行ったから3カ国目」「全部セーフだった?」「うん。でももしフィリピンに行くときはその前に処分するよ。殺されたくないし」「ねえ見たい!見せて!」「一緒にやる?」「まずは見たい!」「今行く?このビール飲んでから行く?」「ビール飲んでからにしようよ。ところでweedって他の呼び方ある?」「grassとか?一般的なのはマリワナ?あとはカナビス?」「カナビスってヒップホップじゃないけど歌の歌詞で覚えた」「たいていそんなものだよね」「ねえカナビスって何語?英語じゃないよね?」「たぶん、ラテン語」「古いんだ」「weedの歴史は人の歴史だよ」「それとてもいい話だね」というやり取りをした。

「ホステルの前で吸ってもいいと思うけど、まだ時間も早いし近所の人に見られない方がいいと思う」と言うので3階のベランダで見せてもらうことになった。ホステルの階段は、急勾配のほとんど螺旋階段で、登るだけで息が上がる。裸足で登りながら、今この人に好きと言ったらなんて言うかなと思った。

3階のベランダは蒸し暑く、温度低めのサウナだった。5cm四方のジップロックから葉っぱを取り出して、細かく千切る様を見ながら、英語でコミュニケーションをとっていると表現できることが日本語よりも少ないから、さっき一瞬あんな馬鹿らしいことを考えてしまったんだろうな、と思った。聞きたいことや言いたいことがあっても何て言ったらいいかわからなくてまあいいやと諦めたことも一度や二度ではない。思考が語彙に依存しているから、好き・嫌い・何も思わないの3パターンの感情しか生まれてこないんだ、と思った。同時に、感情なんて煮詰めてしまえば3パターンくらいなんじゃないか、それなら、豊富な語彙を用いて感情の機微に言葉を尽くすことの意味ってなんだろう、とも思った。複雑にすることは、誰のためにやるんだろう、と思った。

男子は千切った葉っぱをパイプに詰めて、ライターで火をつけた。火が上を向くので、指先が熱そうだった。火をつけてパイプをパスしてくれるのだが、吸うとすぐに消えた。「火を消さないように少しずつゆっくり吸って、肺にキープする。そうすると血液に吸収されて全身に回る」という説明を聞いて再度やってみると今度はむせた。その後何度か吸ってみるも、「コレダ!!」みたいな感覚にならない。「効いたらリラックスする?それともハイになる?」と聞くと「自分の場合は適度に吸えばリラックスするし、吸いすぎるとハイになる」と言った。

吊り橋の上の青年に魅かれることを「勘違い」と言い切れるほど、感情って確固としたものなんだろうか、という気持ちになってきて、男子に「世界のどこでもいいんだけど、またいつか会いたい」と言ってみたのだけど、ほとんど同時に男子が「あ~~めっちゃ効いてきた」と言ったので「まじ!どんなかんじ?」「I feel everything」「ほんと!私何も変わらないんだけど!everything ってつまりどんなかんじ?ラブアンドピース?もっと何か別の大きなもの!?」「あの、感覚が鋭くなるっていうか、今も君の声は聞こえてるけど何を言っているのかちゃんとわからない、みたいな」と言って、そこからしばらく何も言わずぼんやりとしていた。自分でパイプに火をつけてみようとしたけれど、ライターの火が熱すぎて男子のようにはできなかった。

 

ラウンジに降りると、スロバキア女子とインド男子が戻ってきていて、インドネシア女子がスロバキア語を習っており「ビールください、はスロバキア語でどう言うの?」と聞いていた。「~~~~ヴァだよ。……いやもっと唇を噛んでヴァッ!ってやるの。」その様子を見て、稲中の田中がヴァギナと言いまくるシーンを思い出してにやにやしてしまった。

インド男子が「何時の飛行機?」「0時」「どうやって行くの?」「エアポートバスかな」「時間わかる?」「わかんないけど30分置きにあったはず。21時に出れば大丈夫」「じゃ時間調べてあげる。そしたらギリギリまでここに居れるでしょ」そう言って調べてくれた。やさしい。「あんたの言うとおり、バスが30分おきにあるんだけど、見て、21時って入力すると、21:00、21:30と出るでしょ。でも21:15と入力すると、ほら21:15と21:45になる。これは信用しない方がいい」そのやりとりを見ていたチェコ男子が「まあ21時にここを出ればとりあえず大丈夫じゃない?」と言って落ち着いた。

 インド男子から「さっきスウェーデン男子と何してたの?」と聞かれ、「weedやってたんだけどやり方が悪いのかあんまり効かなかった。やったことある?」「持ってるんだ!俺もやりたい!」と言い出し、スウェーデン男子を誘ったが「もうやりたくない」と言われた。「そんなこと言わないでよ、だってぜんぜん効いてないんだよ」と言うと、次は煙草の葉っぱに混ぜようかとなり、昨日会った日本人バックパッカーが自分で巻くタイプの煙草を吸っていたよと教え、二人でもらいに行った。普通にいい人で、「一緒にやらない?」と聞くと「今はとにかく眠いからいいや。帰り気をつけてね」と言ってくれた。もう上まで登りたくないと言うのでホステルの外で吸うことになった。インド男子とチェコ男子はゴキブリの話をしていて、「地球上で一番ゴキブリが嫌いだ。蚊はまだ我慢できるが、ゴキブリは本当に我慢できない」「でもゴキブリは核の効かない唯一の生き物なんだろう」「そう。だからゴキブリはもともと地球で生まれた生き物ではなくて、宇宙からきたという説もある」「実はゴキブリに支配されているのかもしれないよね」「人間よりもゴキブリの方が暮らしやすいんだから、ほんとにその可能性あるよね」その会話でイージーライダーを思い出さずにいられなかった。

スウェーデン男子は「自分ももうすぐ発つからハイにはなりたくない。3人で吸ってよね」とぐずぐず言いながら煙草の葉っぱに混ぜて巻いていた。結局4人で回しながら吸っていると、インドとチェコは「これかなり物がいいね」と言っていた。スウェーデン男子は「その通り。でも彼女には効かないみたい」とこっちを指すと、インド男子が「あんたビールはたくさん飲むしマリワナは効かないし、きっと核も効かないんだろうね」と言った。

 

インドネシア女子とスロバキア女子がカラオケの話をしていると、ホステルの受付の女の子が「私もカラオケ好き・・・」と言い「ほんと!じゃあこれから行こうよ!仕事何時まで?」と盛り上がっていて、私も一緒にカラオケ行きたいし、何より帰りたくなさすぎてグダグダしていた。チェコ男子が「そろそろ行かないとまずいんじゃない」と言い、「帰ることを考えると悲しい気持ちになる」と答えたら、インド男子が「嫌ならここに住むしかない」と言い、インドネシア女子が「いいね、もうこのホステルを出て、みんなでアパートを借りて、それぞれ英語の先生でもしながらみんなで一緒に暮らすの」と言ってきて、そんなことができたらどんなに幸せなんだろうかと思った。最後は一人ずつハグしてくれた。スロバキア女子が「スロバキアでは別れ際にはキスするんだけど、日本人はしないと思うからしないでおくね」と言った。それを聞いたインド男子が「じゃあその分を俺にしてよ!」と言ってみんな笑った。

霧雨の中歩き始めたらインド男子とチェコ男子が追いかけてきて「フェイスブック聞くの忘れた!!」と言われ、急いで交換した。「スウェーデン男子とガールズにも教えておくから!引き留めてごめん、早く行かないとだよね!」と言われ、駆け足でバス停に向かった。21:20くらいだった。

 

停車中のバスに乗ると、運転手が客席の後ろの方でごはんを食べていた。何時に出発するのか聞くと5分後だと言った。バスには他にアジア系のカップルが乗ってきた。10分経っても発車せず、運転手は運転席でセルフカメラを使いながら電話をしていた。もう一度何時に出るのか腕時計を指さしながら聞くと「5分後って言ってるだろ!」と返ってきた。腹が立ったので両手を広げて「ハァ?」とやったら「ああもう、今出るから」となだめてきた。バスの中で、出国時に必要になりそうな「一時入国」の英語表現を調べたらOne o'clock immigration と出てきたのでもう何も信用しないことにした。雨が強く降っていた。

2017年5月28日(ホーチミン市内)

朝シャワーを浴びてロビーに降りると、受付の女の子がGrabを教えてくれた子だった。「ダナンから帰ってきたんだね」と言われ「あのアプリすごく便利で毎日使ってる!ダナンでも使えたよ」と言うと「そうなの!?ホーチミンだけじゃないんだ!」と驚いていた。ダナンでは車のタクシーしかなかったけど、と付け加えると「私よりベトナム詳しいかもね」と笑っていた。

中央郵便局へ、例のおじいさんを探しに行った。日曜日で観光客でいっぱいだった。郵便受付の女性に「ちょっと聞いてもいいですか?」と聞くと険しい顔で首を振られた。観光ツアーデスクの女性に「ここに字の書けない人の代わりに手紙を書いているおじいさんを知りませんか?」と聞くと、「手紙を書いているおじいさん………あぁ!向こうの机で書いてるはずですよ」と教えてくれた。行ってみてもいない。「いないんですけど」と同じ女性のデスクに戻ると、カウンターから出てきてくれた。「今日は日曜日だからお休みしているのかもしれません。明日はきっといるはずです」と教えてくれた。

 

バイクタクシーでガイドブックに載っているサイゴン川の向こうのちょっとハイセンスなショッピング街に行ってみた。ベトナム在住のヨーロッパ人のデザイナーが作っている磁器の皿を買った。途中雨が降ってきたがすぐに止んだ。丸亀製麺を見つけ、嬉しくなって入った。麺は日本と変わらない。つゆは少し甘めな気がした。でも、日本ではおろし醤油うどんしか頼んだことがなく、丸亀製麺の釜揚げうどんは食べたことがないので、細かい比較はできなかった。

スーパーに寄ってから映画館に行った。「聲の形」が上映中だった。今日の回はすでに終わっていたので、明日の上映はあるかと聞くと、明日この作品は休映だと言われた。ロビーの画面で神山健治の新作PVが流れていた。けっこう面白そうだ。

トイレに入ると、Thank youから始まる「いつもトイレを綺麗にご利用いただきありがとうございます」という文の張り紙が貼られていた。この言い方を嫌う人が多いとツイッターで見たことがある。たしかに先にお礼を言うことでプレッシャーをかけているかもしれない。英語の下にベトナム語が書いてあり、それも同じくCam on(=ありがとう)から始まっており、続きは読めなかったがおそらく同じ言い方で書かれていた。

 

ホステルに戻るとスウェーデン男子に会った。「もう戻ってきたの!」と驚かれたが、明日には発つからと言うと、自分も明日の昼にはダラット(ベトナムの街)へ発つよ」と言った。バックパッカーの日本人男性もいた。福岡出身だと言っていた。寝台列車の話をすると、いくらかかるのかと興味をもたれ、ハードベッドにするくらいならソフトシートがマシだと教えた。

ホステルの近くの屋台で買ったドラゴンフルーツのジュースを飲んでいると、みんなが「それ一口ちょうだい!」と言ってきて皆で回し飲みした。わりと回し飲みには抵抗があるのだが、皆普通にやっているので気にしないふりをした。スウェーデン男子は甘すぎる、と言っていた。屋台で買ったときに「初めて食べるんです」と言ったらおばちゃんが味見をさせてくれたのだが、水っぽい無という味だった。砂糖はたしかにたっぷりと入れていた。

ホステルに新しい人がやってきた。スロバキア人の女子で、ドイツ語の教師を辞めて旅に出てきたと言った。鼻筋がスッと通っていて、左右対称の綺麗な顔の人だった。インドの男子がさっそくナンパしていた。それからベトナムチェコ人という男子もいた。両親はベトナム人でチェコ育ちだと言った。彼はベトナム語も理解できるので「これはベトナム語でなんと言えばいいのか」と聞くとなんでも教えてくれた。

あとはひたすらにビールを飲んだ。ホステルの受付で冷えたサイゴンビールが瓶一本15000ドン(約75円)で買える。けれど、マレーシアのタイガービールが好きなので、何度かコンビニまで買いに行ったりもした。誰かの置いていった茹で落花生が妙に癖になる味だった。スウェーデン男子が今日マーケットで買ったというゴマをかためた甘い菓子をくれた。パッケージにはなぜか日本語で「らっかせい」と書かれていたが、かなり美味しかった。

インドネシア女子は日本のポップカルチャーに詳しいのでその話していると(AKBはJKBと呼ばれ人気があるらしい)、スウェーデン男子が「日本の歌ってアイラブユーとかときどき英語まじってるの、すごく変だと思う」と入ってきた。そこから音楽の話になり、少しの洋楽と90年代の邦楽ロックバンドと、最近はテレビの影響でヒップホップも聴いてるんだと言うと、スウェーデンでもヒップホップは人気があるよといくつかのグループを教えてくれた。日本に帰ったら検索するから、と言ってiPhoneのメモ帳に入力してもらった。スウェーデンってデスメタルとかじゃないんだ…。日本のヒップホップも教えてと言われ、YouTubeBuddha Brandを検索していると、画面を覗き込みながら、「この名前は見たことがある」と言っていた。インドネシア女子は興味がなさそうだった。女子が昨日熱を出したと言ったので、冷えピタとポカリ粉末をあげた。

ビールを7本くらい空けたあたりでだんだんロビーに人が減ってきたが、酔っ払って楽しくなってきた。インド男子はスロバキア女子に「スロバキア語でセックスしようってなんて言うの?」と執拗に聞き、女子が答えるとそれをそのまま彼女に向けて発していた。日本語では何て言うのか聞かれたので「教えない」と言った。

そのあたりからいわゆる恋バナが始まり、インドネシア女子は来週カンボジアで彼氏と会ってそのまま二人で旅行をするのだが、彼はヨーロッパに帰りたくないので、先行き不透明だと言っていた。スウェーデン男子は学校は男子の割合が高く、女友だちはいるけど彼女はいないと言っていた。スロバキア女子は彼氏を振ってから旅に出てきたと言っていた。修学旅行の夜の気分だった。とにかくビールが進んだ。インドネシア女子がスウェーデン男子とインド男子に、日本語の告白は「スキデス」だと教えると、二人ともスキデスを連発していた。

 

「お腹すかない?」というスウェーデン男子の一言でフォーを食べに行くことになった。誰か他に行かないかと聞くと、皆もう寝ると言われた。夜遅くまでやってるフォーの屋台があると言うので二人で外に出た。数日前にあまりにラーメンの話がうるさいので「これが日本のラーメンだよ!」とラーメン二郎の画像を見せたら「ゴミみたい…」とがっかりしていたのだが、歩きながら「日本は飲みの〆にラーメンを食べるんでしょ?」とラーメンへの興味は健在だった。スウェーデンの学校を卒業したらシェフになりたいと言っていた。それを聞いてから、彼からの食べ物の質問は蔑ろにしないようにした。屋台へ行く途中、バーのテラス席から男性3人がこちらに手を振ってきた。男子の友だちだった。3人ともかなり酔っている様子だった。5人で飲もうと誘ってきたが、「今はとにかくフォーが最優先だから、食べたらまたここに寄るから飲んでて」と言っていた。ホステルからどのくらい歩いたのかわからないが、けっこう歩いてきた。

何時だったのかもうわからないが、夜中でも活気のある屋台だった。男子はフォー、私はワンタンスープを注文した。手元がくるってラー油を入れすぎたが美味しかった。でも飲みすぎていたのでワンタン2個くらいしか食べられなかった。SAKEを飲んでいるから酒に強いのか、と聞かれたので、たぶん遺伝だと答えた。「日本語でspicyは何て言う?」と聞かれ、「からい」と言うと、「じゃあわさびの辛いのは何て言う?」とさらに聞かれ、それもからいだと言った。「わさびが辛いのと唐辛子が辛いのってぜんぜん違うと思うんだけど。わさびは鼻にくるでしょ」と言うので「もしかしたらその違いを表現する専門用語があるのかもしれないけど、日常生活ではどちらにもからいを使う。そういえば、昔は塩味のこともからいと言っていたらしい。あと私の亡くなった祖母は、ガムのメントールがスース―することもからいって言ってた」「味覚に対してボキャブラリー少なすぎない!?」と驚いていた。

男子が食べきれなかったワンタンスープを食べるというので、食べる様子を眺めていた。「おいしそうに食べるってよく言われない?」と聞くと「箸使いが上手いってこと?」と聞き返され「いや食べてるときが幸せそうだってこと」「それ太ってるからじゃない?」「そこまで太ってないでしょ。そういうことじゃなくて、一つの才能だよ。」「そう?」「綺麗に食べるのは練習すればいいけど、おいしそうに食べる練習方法は誰も知らないんじゃないかってこと」「ふーん。初めて言われたけど、なんかそれいい話かもしれない」という話をした。

「この後さっきの友だちと飲みに行くけど一緒に行く?」と言われた。「今日は十分飲んだし、私がいない方がいいと思う。」「なんで?一緒に行こうよ」「深夜のバーで男子が何を話してるか、私は知る必要がないでしょ。」と答えると「なるほどなかなかスマートだね。」「そういう民族なんだ」「じゃあホステルまで送って行くよ。どうせいつまでだって飲んでる人たちだし」「大丈夫一人で帰れるよ。」と言って歩き始めるとついてきて、「ねえ、よくダナンまで一人で行って帰ってきたよね。そっちじゃないって」と笑いながら、後ろにある公園を抜けて右に曲がるとすぐだと教えてくれた。帰りは来た道よりだいぶ近かった。

 

シャワーを浴びたらなんとなく熱がある気がしたので、おでこに冷えピタを貼って寝た。

 

2017年5月27日国内線(ダナン→ホーチミン再び)

朝、飛行機のチケットを取った。21時の飛行機が安かった。ホステルの受付の男の子にベトナム語を翻訳してもらいながら取ろうとしたができず、部屋に戻って画面を開くと右上に英語用のボタンがあり、それを使ったらすんなりチケットが取れた。21時間かけてダナンにやってきたが、飛行機では1時間で帰れる。日本円で4000円くらいだった。

タクシーで街に出た。ダナン大聖堂は夕方から開館で、裏でシスターが黄色の花を桶の水で洗っていた。とても綺麗な花だった。

ガイドブックに載っている、お土産用のチョコレートの店に行くことにした。ベトナム産カカオを使ったおしゃれなチョコレートだ。そのチョコレートの店の隣も土産物の店だった。「イラッシャイマセ。ニホンジンデスヨネ?」と緑のアオザイを着た小柄な店員が日本語で話してきた。「2カゲツマエニデキタバカリデス。ニホンノヒトニシッテモライタイデス」

手に持っていたガイドブックを見せてほしい、というのでるるぶを渡すと、奥の女性と二人真剣に眺めていた。「コウコクダシタイデス」と言うので、最後のページにある本社住所とメールアドレスを教えてあげたらとても感謝してくれた。そこでバッチャン焼きの花瓶を買った。

街を歩いていても、ホーチミンと違いタクシーの客引きは少ない。コンビニというよりは雑貨屋の前を通ると、店員の女性が声を掛けてきた。ホーチミンのノリで「いりません!」と言うと、違くて〜!みたいなノリでベトナム語で話しかけてきた。昨日自分が夜に声を掛けたママチャリのおばちゃんだった。「あなたのおかげでホステルに着きました!」と言ったつもりだが、通じたかはわからない。

休憩しに入ったカフェの店員の女の子に、地図を見せながらこのビーチに行きたい、と言うと、ここは遠いしつまんないからこっちのビーチに行きなよ、と言われ、Grabのアプリを見せると「なんでそれ知ってるのー!」と驚かれた。ホーチミンのホステルの子に聞いたと言うと、親指を立てて笑顔で見送ってくれた。ダナンにバイクのタクシーはなく、車のみだ。

人気のないビーチを歩き、カフェでコーヒーを飲んだ。鉄道で読む予定が、オーストラリア人のおじいさんのおかげでまったく読むことができなかった本を少し読み進めた。

How old are you?とDid you get married?はタクシーに乗るたびに聞かれた。ベトナムの英語は早口で、How old are you?がHow are you?くらいに聞こえた。まるで少年のようなタクシー運転手も、年齢を聞き返すと35、とかわりと年上だった。昨日の晩御飯をおごってくれた人たちも皆年上だったが、皆見た目は15歳くらいに見えた。

ホステルから空港に歩いて向かう途中でパン屋のパンを買うと、店の女の子が「どこから来たの?色白〜い!」と言う。とてもかわいい女の子だった。ダナンだって白人が来るだろうが、顔立ちが比較的似ていて日焼けしていないのが珍しいのかもしれない。

飛行機は1時間遅れて離陸した。

24日にホーチミンに着いてすぐに乗ったエアポートバスは、夜中は運行していない、と言われアオザイを着た女性がタクシーを手配してくれた。タクシーは1000円くらいだった。これはたぶん高い。空港で白人のカップルが目の前を通り、「もしシティまで行くなら一緒にどうですか?」と言いたかったが言わなかった。とにかく早く前のホステルに帰りたかった。

深夜にホステルに着くと、レセプションの男子が鍵を開けてくれ、シャワーも浴びずにすぐに眠った。


2017年5月26日統一鉄道(ニャチャン→ダナン)

深夜に悪夢で目を覚ました。すでに電気の消えたコンパートメントが微かに煙たくて、おそらく廊下で誰かがタバコを吸っていた。3段ベッドの上ということもあり、バルサンを焚かれた虫の気分だった。残酷な道具だと思った。

次に目を覚ますと朝7時前だった。外は明るく、車内販売でアイスコーヒーを買った。ミルクを入れてもらった。

ニャチャンで下車するとすぐにズーさんに会えた。チケット売り場には何人か並んでおり、横入りも当たり前だった。彼は前の客にベトナム語でおそらく「この人急いでるので順番変わってくれませんか?」的なことを言ったのか、快く譲ってくれた。横入りするより賢い方法だと思った。

並びながら「できるだけ早い電車に乗りたい」と伝えると「ニャチャンなら案内できるしいいところだよ。少しいたら?」と言ってくれたが、今日中にダナンに行く、と言った。

チケット売り場の女性と何かしらベトナム語で話し「今そこで停車中の電車に乗れる」と教えてくれた。「それにする!何時発車?」と聞くと8:35発だと言った。すでに8:50だった。「走って!」でチケットとチケットのおつりをポケットにねじ込みダッシュで飛び乗ると、すぐに発車した。振り向くとズーさんがホームから手を振っていた。お礼を言う暇もなかった。

3段ベッドは懲り懲りだったのでソフトシートに座った。隣はオーストラリア人のおじいさんだった。喋り好きな人で、そこからダナンの3つ手前の駅で降りるまで、10時間以上喋り続けた。69歳の独身で、オーストラリアの年金で世界旅行をしていると言った。数年前にベトナムに来たときにはこの鉄道は2〜3時間遅れるのは当たり前だったが、今回は20分程しか遅れていないと言った。「いつかバイクでベトナムを縦断してみたい」と言うと、「前回ベトナムに来たときにバイクに乗ったが、特に田舎は道がでこぼこで、しかも山の上から岩が落ちてきて死ぬところだった。ベトナムでバイクは危ない、自転車にしておけ」と言われた。道はともかく、岩はもはや運ではないか?

ホーチミンのホステルでビールを飲んでから、水とコーヒー以外口にしていなかったので、車内販売でカップラーメンを買った。鉄道のデッキには熱湯の出るボトルがある。給食のような窪みのあるトレーに、スープ、ごはん、チキン、煮卵、おひたしを取り分けてくれる食事も買って食べた。

大きめの駅に停まると、地元の人が食べ物を売りに車内に入ってきたりホームに売店のある駅もあった。おじいさんがバナナを買ってくれたりした。「世界中旅行してわかったが、この世界にまともな国は一つもない。でも旅をする方がオーストラリアで年金生活を送るよりは少しだけマシだ」と言っていたのが印象的だった。そういう老人になりたいと思った。スタンプだらけのパスポートがうらやましかった。

ダナンに着いたのは19:45で、時刻表によると19:20着のはずだった。駅のwifiで地図を開き、ナビにして歩き始めた。駅から徒歩10分のホステルを予約してあった。ホーチミンと違って湿度が低く空気がひんやりしていた。少し歩くと、ヘイヘイ!みたいな呼び声がし、振り向くと鉄道の乗務員の男性が2人、屋台でごはんを食べていた。混ざるように言われ、3人でビールを飲んだ。茹でた鶏をチリソースで食べながら、お腹空いてたんだ、と言うとさらにおかゆみたいなものを注文してくれた。あまり英語は通じなくてDo you live in Da Nang? と聞くとDa Nang is my house. と返ってきた。その後、その乗務員の兄とその同僚という男性がその店の前を通りかかり、5人で乾杯した。誰かが缶ビールをコップに注ぐたびに、5人で乾杯した。お金はいらない、と言われいやいやそんなわけには、と言ったらじゃあ一緒に写真を撮ろう!とみんなで写真を撮った。朝までハシゴ酒を思い出した。

食事をしたせいでiPhoneの道案内が切れ、いつのまにか街灯もなく暗闇とiPhoneだけになってしまった。躓いて下をよく見ると線路の上だった。そこで暗闇からママチャリを押す女性らしき姿が見え、お互い驚いて声をあげた。そのおばちゃんに駆け寄ってスマホを見せ「ここ行きたいんですけど!」と言う。いや〜わかりません、みたいなことをベトナム語で返されていると、さらに後ろから別のおばちゃんが来て、2人でスマホ画面を見て「これはあそこの通りじゃないか」みたいなことを話していそうだった。後から来たおばちゃんが、着いてこい、みたいな動作をするので2人で着いて行くと、少し開けた通りに出た。布屋のような店の中に向かって呼びかけると旦那さんと思しき男性が出てきて、おばちゃんは「この人ここまでバイクで送ってって!」的なことを言い、ヘルメットをかぶせてくれた。ありがたい。おじさんはかなりめんどくさそうだった。2人のおばちゃんが手を振って見送ってくれた。

布の店からバイクで5分程でホステルに着いた。お礼を言おうと振り返ると、おじさんはすでにいなくなっていた。

個室のホステルは快適で、テレビでNHKワールドニュースが見れた。ホーチミンで日本人が電車を建設中だと伝えていた。

2017年5月25日統一鉄道乗車(サイゴン→ニャチャン)

朝は鶏の鳴き声で起きた。ホステルの女性が朝ごはんを作ってくれた。

フライドエッグ(多めの油で目玉焼きを両面しっかり焼く)をバターを塗った食パンに挟んでケチャップをかけただけのシンプルなものだが、これがものすごくおいしい。「ベトナムはパンがおいしい」と聞いていたが、こんなどうでもいいレベルの食べ物にまでパンのおいしさが浸透しているのかと驚く。

22時の鉄道でダナンに向かう予定だ。今回来た目的がそれだった。夜間の治安の想像ができないので、できるだけサイゴン駅の近くにいるべきだと考え、駅に近いホステルに移動する。近くまで移動したつもりだったが、もともと滞在したホステルから道2本分くらいしか近くならなかった。

新しいホステルで、インドネシア人の女子に誘われ、スウェーデン人男子と3人でランチを食べに市場へ出た。今後ここに滞在することになる。ホーチミンの昼は暑すぎて、何も考えられない。2人が何を喋っているのかもほとんどわからず、ぼーっとしていた。スウェーデン男子が日本のラーメンについてしきりに質問してきた。帰り道、インドネシア女子が「昔だけどね」と念を押しながら元ジャニオタでありNEWSのコンサートに行ったことがあると話してきた。手越君が好きだったらしい。


夕方、ホステルのベランダで一人ビールを飲んでいたら、黒人の男子がタバコを吸いにきた。カナダ出身だと言った。大学を中退して自分探しをしているとも言った。19歳だった。彼と宮崎駿とグサヴィエ・ドランの話をした。宮崎駿作品ではハウルの動く城が傑作だと言っていた。自分もハウルの動く城は宮崎作品で一番好きな作品だが日本でそのように言う人はわりと少ない、と言うとかなり驚いていた。


サイゴン→ダナンへの切符は日本で予約してきた。ベトナム語のみのホームページをGoogle翻訳を使いながら解読したのでずっと不安だった。ホステルの受付の女の子に予約メールを見せて、これで予約できてるのか聞いてみると、たぶん大丈夫、とのこと。サイゴン駅は近いから、21時に出れば十分だと教えてくれた。

荷造りをしてシャワーを浴び、ロビーでまたビールを飲んでいたら、スウェーデンの男子が隣に来た。これからダナンに行くので髪の毛を早く乾かしたい、と言うと、ちょっと触ってみてもいい?と言うので今日だけ無料で触らせてあげる、と冗談を言ってみたが、特に何も言わず、不思議そうにしばらく髪を触っていた。

21時にサイゴン駅へと向かう。ホステルの女の子がGrabというアプリを教えてくれた。今いる場所と目的地を入力すると、その場所にタクシーやバイクタクシーを呼べて、しかも呼ぶ時点で料金も表示される。値段交渉をする必要がない(そもそも相場を知らない)し、何より目的地を先にタクシー側が知っていてくれるのでありがたい。女の子から「スーツケース一つならバイクに積めるよ」とバイクタクシーを勧められ、バイクタクシーに乗った。夜風が気持ちよかった。

10分ほどでサイゴン駅に着き、インフォメーションのような場所で女性に予約メールを見せると、険しい顔で首を振られた。予約はできていないし、この鉄道はすでに満席だと言う。スマフォの予約画面を見せるとまた首を振られ、8両目の19番で取ってある!と言うと、「あなたはこの人ですか?」と紙に名前を書いて見せてくる。もちろん自分の名前ではなかった。彼女は8両目の19番はこの名前の人だと言う。「そんなはずはない。クレジットカードで決済も済んでいる。もしその席がないなら他の時間の鉄道を取ってくれ」と言う。女性は眉をしかめて肩をあげた。一人のベトナム人男性が声を掛けてくれた。「インターネットから予約をしたはずなのにできていなくて、しかも満席だ。ダナンに行きたい」と言うと、何か言いたそうだったが、「英語はわからない。ごめんなさい」と言って申し訳なさそうに立ち去って行った。

女性にしつこく頼んでいると、チケットカウンターのような場所を指差されたのでそっちに行った。恰幅の良いおばちゃんに「ダナンまでのチケットをください」と言うと、もう満席だと言う。「もう明日の宿をダナンにとってある!あの人があなたに話しかけろって言ったんだ!なんとかして!」を繰り返す。いつの間にか、周りにベトナム人が集まってきて、このやり取りを少し遠巻きに見ていた。恥ずかしさも何もなく、頭の中ではさっきのホステルにどんな顔で戻ろうか。仮に明日の朝に出発できたら何時に着くのかと考えながらおばちゃんに「なんとかしてください!」を繰り返していた。おばちゃんはさっきのインフォメーションを指差して、向こうで聞いてくれ、というようなことをベトナム語で言う。「もうあの人は私と話すのが嫌だって」と言うと、何か返ってきたが、もう誰も英語を話してくれなかった。サイゴン駅の人だかりの中で荷物が重かった。濡れた髪の毛で肩が冷たかった。電車で寝るために、すでにパジャマを着ていた。けっこう泣きそうだった。


一人のベトナム人が「お困りですか?」と人だかりをかき分けて英語で声をかけてくれた。「チケットが取れない。ダナンに行きたい」と言うとベトナム語でおばちゃんに話してくれた。男性は「このおばちゃんはニャチャン(ホーチミンとダナンの間)までのチケットなら取れると言っている。この電車がニャチャンに着く時の乗り継ぎ時間は30分しかない。電車が遅れたらそれで終わりだから、ニャチャンで再度チケットを買うのがいい。さらに、僕はこれからニャチャンに行くから、そこでチケットを手配できるかもしれない。」そこで初めておばちゃんが何を言っていたのかわかった。たしかに「ニャチャンならいける」と言っていた。それを「ダナンだって言ってるでしょ!」と返していた。男性に促されるままにニャチャン行きのチケットを買った。日本で予約したのは、ソフトベッド(2段ベッドの一つ)という最も快適な場所だったが、二番目に快適らしいハードベッド(3段ベッドの一つ)に一つ空きがあった。発車は22:45だった。チケットを握りしめたらほっとして涙腺がうるうるしてしまった。お礼を言うと、男性は「まだ発車まで時間があるのでコーヒーでも飲もう」と駅にあるカフェに連れて行ってくれた。

ミルクはいれる?と言われ、いらない、と答えたらグラスから底1cmくらいしかないおそろしく濃いベトナムコーヒーが出てきた。ミルクありにすればよかった。「どこから来た?旅行?」というお決まりの話から始まり、日本から来た、と答えたら「なんだ、あのおばちゃんは“電車に乗り遅れた中国人が騒いでいる”

とみんなに言っていたよ」と返ってきた。電車に乗り遅れたのではなく予約自体ができなかったのだ、と訂正した。彼はベトナム人で、韓国の博士課程を卒業してからホーチミンの韓国系企業でエンジニアとして働いており、出張でよくニャチャンに行くそうだ。「ベトナムでは出張は飛行機が主流だが、僕は鉄道の中で寝るのが好きだ」と言った。話のわかる人だった。「僕もベッドを取りたかったけど、シートしか空いてなかった。君がチケットを取るときにちょうどキャンセルが出たらしい。ラッキーだったね」とも言った。さらに「友だちが日本に13年くらい住んでいたから電話してあげるよ」と言って電話をかけ始め、かわったら「あ、どーもこんばんは!」と流暢な日本語が聞こえた。山梨大学に通っていたそうだ。「山梨大…?」と聞くと「あ、一応国立大学なんっすよww」と言った。SASUKEを完全制覇した若い男子はどこの大学だったっけと思ったが、彼はたしか高知大学だ。山梨に関する知識はまるでなかった。故郷より南にあることだけは確かだった。

「何か困ったことがあればズーさん(助けてくれた人)か自分に電話していいよ、きっと力になる」と言われ、お礼を言って電話を切った。ズーさんが彼の電話番号と、ズーさんのフェイスブックを教えてくれた。

発車10分前にズーさんと一緒にホームへ入った。チケットを売ってくれたおばちゃんがホームをうろうろし、こちらを見ると笑いかけてきた。ズーさんがおばちゃんに何かベトナム語で話すとワッハッハと大声で笑った。「中国人じゃなくて日本人だと言ったよ」とズーさんに言われた。「鉄道に乗れるなら何人だっていいや」と言うと、また通訳してくれたのか、おばちゃんがさらに大声で笑いながら肩をバンバン叩いて髪の毛をわしゃわしゃしてきた。ズーさんに「明日の朝ニャチャンで会いましょう」と言って鉄道に乗った。3段ベッドが2台ある6人のコンパートメントは、他にはおじいさんとおばあさんばかりで、3段ベッドの一番上は、天井との間がiPhone3つ半の高さしかなかった。昔見学に行った少年院を思い出した(もちろん少年院の方がずっと快適そうではあった)。他の乗客が荷物を持ち上げるのを手伝ってくれ、ベッドに入ると、インビクタスという映画で大統領が投獄されていた監獄に初めて赴いたマット・デイモンの表情になった。電車はゆっくり動きだし、背中から誰かの鼓動が伝わってくるような心地よさがあったが、スピードが出てくると、縦揺れ・横揺れ、乗り物に弱い人間にはかなりオススメの状態になった。